米市民権運動を率いた4人の女性たち

Children’s Defense Fundの創設者マリアン・ライト・エデルマン(Getty Images)


・グロリア・スタイネム(86)

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Getty Images

スタイネムは存命の米女性権利活動家の中で最も著名な人物とも言えるだろう。ジャーナリストとしてキャリアを開始し、初めは米誌ニューヨークのコラムニストとなった後、米誌ミズ(Ms.)を創刊した。その動機となったのは、スタイネムら女性ジャーナリストが当時、政治記事の執筆を任されることがなく、代わりに「食やメーキャップ、赤ちゃん、セレブ」についての記事ばかり書かされていたことだった。

ミズ誌時代の執筆物として特に有名なのが、「If Men Could Menstruate(もし男性に生理があったなら)」というエッセーだ。その中で言及された、政府が無料で生理用品を提供するという政策は、50年がたった最近になってようやくスコットランドで導入されたが、米国ではまだ実現していない。

スタイネムは「子どもを持つかどうか、持つならいつにするかを決められることは、女性の健康や教育、家庭外での活動の有無や寿命を左右する、世界共通で最大の決定要因だ」と述べている。

・リオナ・テート(66)

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(C)leonatatefoundation

ニューオーリンズで1960年11月14日、ルビー・ブリッジズが初の黒人児童としてウィリアム・フランツ小学校に足を踏み入れたとき、町の反対側では、同じく6歳だったリオナ・テート、ゲール・エティエン、テシー・プリボストの3人が連邦保安官に護衛されながら、それまで白人のみが通っていたマクドノー第19小学校で初の黒人児童として登校した。テートは今でも、その日に集まった群衆が、人種統合に反対して叫んでいたスローガン「two-four-six-eight, we don’t want to integrate(2、4、6、8、統合はしたくない)」を覚えている。

テートは2009年、公民権運動初期の様子や、「マクドノーの3人組」と呼ばれた自分と他の2人の黒人児童が果たした役割を一般に伝えるため、「リオナ・テート変革基金」を設立。ここ10年は、マクドノー第19小学校を博物館、そしてコミュニティーセンターとして生まれ変わらせることに取り組んでいる。同校は2004年に廃校となり、校舎はハリケーン「カトリーナ」の被害を受けて以降は空きのままだ。

リオナ・テート財団は昨年1月、米国立公園局からの資金提供やアレンビック・コミュニティー・デベロップメント(Alembic Community Development)との提携を通し、マクドノー第19小学校を購入。同校は今年、「テート・エティエン・アンド・プリボスト・センター」として装いを新たにオープンする予定だ。

テートは昨年7月、同センターは「人種問題の癒しの場になる」と説明。「人種差別はあそこから始まり、あそこで終えるべきと感じる」と語った。

編集=遠藤宗生

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