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Visional代表取締役社長 南 壮一郎

「覚悟はしていましたが、予想以上に大変でした。名刺を差し出しても『何をされている会社ですか』と聞き直されてばかりで……」

Visional代表取締役社長の南壮一郎は、いっけん泥くささとは無縁に見える爽やかな表情でこの1年を振り返った。人材サービスを提供するビズリーチは2020年2月、グループ経営に移行。ホールディングカンパニーの社名は、抜群のブランド力を生かして「ビズリーチHD」とするのが常道だろう。しかし、南はあえて「Visional(ビジョナル)」と新社名をつけた。

「何かを捨てないと新しいものは得られない。未来に向けて志し、決断し、そして歩むことが自分の生き方そのものですから」

スマートなたたずまいの南がそう言うと、外向けのきれいごとに聞こえなくもない。しかし、半生を振り返ると、南が本当に捨て続ける生き方をしてきたことがわかる。

最初に捨てたのは日本語だ。南の父はヤマハ発動機に勤め、海外の市場開拓を担った。父のカナダ赴任に伴い6歳のときに移住。突然マイノリティになり、家庭以外で日本語が使えない環境に放り込まれた。

英語が日常言語になった中学生のころに帰国。今度は身についた北米の価値観を捨てるのに苦労した。

「入った中学校では丸刈りがルール。体育では名前が書かれた体操服を着せられて、そういうカルチャーを知らなかったので、まるで囚人の世界。苦痛というか、理解不能でした」

ここまでは強制的にリセットされてきた人生だ。しかし、環境変化を楽しんでもいた。

「『スター・ウォーズ』で新しい星に行くような感覚。生きるため環境に順応せざるをえませんでしたが、新しい自分に出会えた」

南は、それ以降、積極的に何かを捨てては新しいものをつかむ人生を歩んでいく。高校時代には、アメリカの大学への進学を決意した。学校からは反対されたが、お小遣いをはたいて当時住んでいた浜松から電車に乗り、東京の書店で留学関係の本を購入。自力で願書を出した。

大学卒業後はモルガン・スタンレー証券に入社するが、スポーツビジネスがしたくて高収入を捨てた。仕事がなくて苦しんでいたところ、楽天の三木谷浩史に拾われて楽天球団の立ち上げメンバーに。しかし、スポーツビジネスでの成功体験もあっさり捨てて3年弱で退職する。

新天地を求めて果敢にアクションを起こす行動力は南の強みの一つだが、「僕はビビリで、行動は遅い」と正反対の自己評価を下す。

文=村上 敬 写真=苅部太郎

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