NYNJ続木:受け手の読解力の低さは、私たちが感じた賛否へのモヤモヤに繋がっている気がします。これからの広告について考える上で、受け手もリテラシーが求められているのでしょうか。
田中:そうですね。今回のナイキのように案外複雑に作られているCMを読み解ける消費者であるためには、教育や、日常の会話の中で、メディア・コンテンツを読み解ける力を育んでいく必要があると思います。ある広告を「好き」か「嫌い」かだけで終わるのではなく、ディスカッションしてみたり、広告やテレビドラマを見て考えてみたりすることでリテラシーを高めていけると思います。
また、国内のものだけ見ていても多様なコンテンツを比較することはできないので、他の国や文化の広告や表現はどうなのかと広い視点を持つことも大事です。それによって、自分たちが普段見ているものは狭い視点に制約されているな、彩りがないなと気づけると思います。
社会をより良くする「ソーシャルグッド」の考え方が広告表現にどんな変化を与えていくだろうか(Shutterstock)
NYNJ田中:最後に、広告で「ソーシャルグッド」の概念は広めていく必要性はあるのでしょうか。
田中:あると思います。スマホを開いた時、テレビをつけた時、街を歩いている時、日常空間に広告は溢れています。現代社会において、広告は国境線も易々と超え、すぐに世界に拡散されます。これほど社会の隅々にまで進出している以上、広告には私たちの社会をより良くすることに寄与する責任があると思います。
社会的道義心や責任に寄与しなければ、社会を悪い方向に押し流してしまうほどの影響力を広告は持っている。作り手はそれを自覚し、どんなメッセージを、どのように、誰に向けて届けるかを考えなくてはいけません。そしてまた、受け取る私たちも「きちんとしたものをつくれ」とどんどん言うべきですね。つくり手と受け手の相互作用で受け手のリテラシーは育まれ、より良いコンテンツや広告が生まれていくと思います。
取材を終えて
社会問題に切り込んだナイキのCMをかっこいいと思う一方、どうして賛否両論が激しく攻撃し合ってしまったのかモヤモヤしていました。政治や社会について日常的に考えることが正しいことと認識されつつある時代の転換点で、その社会の変化を映すように広告も少しずつ変わってきていると、今回の取材を通して感じました。受け手である私たちも、広告が伝えようとしているメッセージの本質を読み取れる力が求められていても、まだまだ日常的に政治的な話題を出す勇気がない人は多いと思います。そんな人の背中をそっと押せる活動を続けていきたいです。
田中東子◎大妻女子大学文学部教授。専門分野はメディア文化論、ジェンダー研究、カルチュラル・スタディーズ。1972年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科後期博士課程単位取得退学後、早稲田大学教育学部助手、早稲田大学政治経済学部助教などを経て、現職。主な著書に『メディア文化とジェンダーの政治学―第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社、2012年)、翻訳に『ユニオンジャックに黒はない──人種と国民をめぐる文化政治』(ポール・ギルロイ著、共訳、月曜社、2017年)など。
新連載:「U30と考えるソーシャルグッド」
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