きっと与正氏の発言は、金正恩総書記が2018年3月5日、平壌で韓国特使団に語った言葉と対になっているのだろう。正恩氏は「これまで私たちがミサイルを発射すると文在寅大統領が早朝、NSC(国家安全保障会議)を開いて苦労したと聞きました」と言及。「本日、(ミサイル発射の停止を)決心しました。もう、文大統領が眠りを妨げられずに済むでしょう」と語ったという。与正氏の発言は、米国が圧力を強めるなら、弾道ミサイルの発射時実験を再開すると言いたいのだろう。
ちなみに、北朝鮮では最高指導者の発言はすべて「ですます調」で紹介される。ヤクザ映画ではよく、相手に飛びかからんばかりに威圧する子分を、横にいる親分が丁寧な言葉で諫めながら、「うちの若い者はすぐ頭に血が上るから大変です」などと言って脅しにかかる。正恩・与正兄妹の掛け合いは、この構図にそっくりだ。
もちろん、このヤクザまがいの発言は、金与正氏その人が考えたものではないだろう。北朝鮮関係筋によれば、北朝鮮にはスピーチライターのように、最高指導者や党幹部らの発言を考える人々がいる。2018年7月、ベトナムで北村滋内閣情報官(当時)と会談した党統一戦線部の金聖恵統一戦線策略室長(当時)も、最初は労働新聞などで政論を投稿するライターだったという。ライターたちの使命は、いかにして市民を宣伝扇動するかにある。関係筋の1人は「1年を通じてキャンペーンに使われるような言葉を生み出せば、一生、生活に困らないだけの待遇を受けられる」と語る。
では、どうして、北朝鮮は金与正氏の名前を使って、超大国の米国に向けてこんなヤクザまがいの恫喝をしたのだろうか。確かに、北朝鮮は過去、下品な言葉を米国に浴びせた前科はある。朝鮮中央通信は2014年5月にオバマ大統領(当時)を「黒いサル」とののしったし、19年11月にはバイデン前副大統領(当時、現大統領)を「狂犬病にかかった犬」呼ばわりした。