World Restaurant Awards審査員


音羽氏は、夢から逆算した準備を重ね続けている人だ。料理人を目指したのも、昆虫採集に魅了された小学生のときに抱いた「虫捕り網を持って世界中を旅したい」という、世界への憧れを叶えられると考えたから。その夢は、昆虫から料理、食文化へと変わっていったが、その熱量は少年時代のままだ。

フランスに渡った当初は、海外のシェフとも交流がしやすい東京に出店することを考えていた。しかし、シャペル氏の元で過ごした3年間が全てを変えた。フランスの片田舎ミヨネで、「うちの村は、世界で一番良い所だ」と、まっすぐに語る地元の人たちとふれ合うたびに、自分も故郷をそんな風にしたい、と考えるようになっていった。

「フランスには、『トロワグロ』や『ジョルジュ・ブラン』のように地方で何十年と続き、世代を超えて三つ星を獲得している老舗レストランがあり、それが地域の重要な文化拠点になっている。日本では、素晴らしい料理をつくるシェフがいても、そのシェフがいなくなったらその料理も忘れ去られてしまう。それはあまりに寂しい。それに、一代限りではフランス料理の文化が育たない」

地方の個性あふれる食が注目される昨今、「ローカル・ガストロノミー」という言葉をよく耳にするようになったが、音羽氏の眼差しは40年も前に地方に向いていた。「地方に美食を通した文化拠点を作る」という夢を描き、帰国後は故郷・宇都宮に店を構えた。

「必要とされる店」であれ


東京と比べ、ファインダイニングの顧客層が厚くない宇都宮で、知識や技術を受け継ぎ、店を続けていくには継承者が大切だ。そんな思いから、子どもたちが小さい頃から「そそのかしてきた」と笑う。

「料理人になれ」と言ったことは一度もないが、家族団欒のひとときには、料理の楽しさや、そこから広がる世界をの魅力を積極的に伝えた。妻の道子氏がマダムとしてサービスを担当していたため、子どもたちはときに深夜まで留守番をすることもあったが、それが子どもたちの将来の選択に影を落とすことはなかった。

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左から長男の元氏、音羽氏、次男の創氏

「何よりも、父が生き生きと新しいことに挑戦していて、料理は楽しいものなんだ、と思って育ちました」と元氏は振り返る。子どものように目を輝かせて夢を語る、朗らかな台風に巻き込まれるように、彼らは自然と料理の道に進んだ。

2人の息子と並んで自己紹介するとき、音羽氏は「僕も入れて3人兄弟、僕は末っ子です」とやんちゃな笑顔で付け加えるが、それもあながち冗談ではないのだろう。


2月28日、音羽氏と息子たちとコラボレーションするイベントが開催された。厨房に入れば、自身も休む間もなくキビキビと働く

文=仲山今日子

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