ビジネス

2021.03.12 10:00

世界を「イチゴ」から変える日本人 20年後まで計算されたビジネス戦略


コロナで閉鎖するまで、ニューヨークのミシュラン星付きレストランの2〜3割は、古賀のイチゴを使っていた。今は直販を行っているが、それでもウェブサイト上では完売状態だ。つまり、古賀は1円もお金をかけずに、自分たちの商品の認知度を高めることに成功したことになる。

起業時代のリスクとは?


イチゴを植物工場で栽培する技術を世界で初めて成功させ、大都市ニューヨークでの話題もかっさらい、いまや飛ぶ鳥を落とすような勢いの古賀。「辛かった経験はなかったのか」と聞くと、即座に「実はそんなになかった」という答えが返ってきた。

「起業してから現在までの状態を例えるなら、文化祭の準備の最終日がずっと続いている感じですね。この4年間、ずっとハイになったような高揚感がありました」

とはいえ、古賀が選んだこの道は、周囲からはなかなか理解されづらかった。コンサルで働いているとき、製薬企業の担当から自ら希望して農業業界の担当に異動したときも、周囲から嘲笑されたという。それでも古賀は農業に魅力を感じ、平日の夜や週末に農業大学校に通っていた。

カリフォルニア大学バークレー校にMBAへ取得しに行ったときも、起業コースが人気だったにもかかわらず、古賀の同級生250人のうち、実際に起業したのは古賀を含めて3人だけだった。MBAを取得すれば、起業せずとも初任給年間2000万円クラスの職につけたからだ。


写真=Oishii Farm

起業のような、ある意味リスクの多い人生を選ぶよりも、安定をとる。シリコンバレーの中心にあるような大学でも、古賀のようなアクションをとる人は少なかったという。

そんななかでも、古賀は情熱を絶やすことはなかった。自分がやらなければ、誰もやらない。いましかない。日本の植物工場の技術を活かさなければ。そんな使命感で古賀はここまで走り抜いてきたのだ。

20年後の答え合わせ


古賀は、今回調達した55億円の使い途として、前述のようにまずはニューヨークに世界最大のイチゴの植物工場をつくることを計画している。そして、今後は世界中から人材を採用し、ニューヨーク以外のアメリカの都市や、さらに世界中の主要都市へとOishii Farmを展開する予定だ。

「コンサル時代のいちばんの気づきは、お金儲けに対してそこまで自分は高揚しないということでした。なので、ニューヨークに拠点を移しながらも質素な生活を送ってきた。お金よりも、ぼくは世界を変えるようなビジネスを実現させることに喜びを感じるのです」

古賀の挑戦はまだ序章にすぎない。例えば20年後、彼が語るように世界が変わり、植物工場の作物を食べることが日常で当たり前になった時代に、古賀の次のビジネスはどこへ向かっているのか。いまからそれを考えると楽しみでならない。


写真=Oishii Farm


古賀大貴(こが・ひろき)◎1986年、東京生まれ。少年時代をアメリカやヨーロッパで送る。2009年、慶應大学を卒業。コンサルティングファームを経て、カリフォルニア大学バークレー校でMBAを修得。2016年12月、アメリカでOishii Farmを起業。2017年からはニューヨークに隣接するニュージャージーの倉庫街に食物工場を構えて、「Oishii Berry」としてイチゴを販売している。

文=井土亜梨沙、写真=曽川拓哉

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