世界最大規模の品評会でチャンピオンに輝いた「紀土無量山純米吟醸」。その背景には蔵元による革新的な組織づくりがあった。
2020年12月、和歌山県海南市にある平和酒造の応接室にて、PCの画面を静かに見つめていた山本典正は小さくガッツポーズを決めた。世界最大級のワイン品評会である「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2020(以下IWC)」SAKE部門にて、「紀土無量山純米吟醸」がチャンピオン・サケに選出され、文字通り世界No.1の座を獲得したのだ。
IWCは世界で最も権威あるワインコンペティションであり、2007年よりSAKE(日本酒)部門を創設。2020年は1,401銘柄が出品されていた。9つのカテゴリーでトロフィー受賞酒が選出されるが、それらをさらにブラインドテイスティングしたうえで1銘柄だけ選ばれるのが最高位であるチャンピオン・サケ。国内で行われる酒の品評会と異なり、グローバルな視点、味覚のもち主にジャッジされることから、世界市場を見据える日本酒のつくり手にとってはこれ以上ないほどの 栄誉だといえるだろう。
08年にデビュー後、多くの日本酒ファンを増やしてきた「紀土(キッド)」の最高峰として生まれた「無量山」。兵庫県産特A地区の山田錦を50%精米し、紀州のやわらかな水とともに醸された。「この日本酒はメロン、柿、ハーブの香りがエレガントでパイナップルやスピリッツのようなフレーバー。最後にキリッとしたフィニッシュを楽しめます。素晴らしい日本酒です!」(IWC)「19年にもつくり手としての最高位である『サケ・ブリュワリー・オブ・ザ・イヤー』に選出(編集部注:20年も連続受賞)いただいたので、20年は『チャンピオン・サケ』を獲るというのはマイルストーンとして目標に掲げていたことではありました。とはいえ、実際に発表された瞬間はやはり高揚しましたね」(山本=以下同)
山本は1928年から酒造りを始めた平和酒造4代目の蔵元である。東京のベンチャー企業を経て26歳で和歌山へ戻り、実家の酒蔵へ入社した。当時の日本酒業界は73年をピークに消費量が減少の一途をたどっており、平和酒造も大手酒造の下請けとして大量生産酒を製造しながら、安価なパック酒の販売が主となっていた。
そこで、実家に戻った山本がまず取り組んだのは高付加価値の自社ブランド製品の開発。最初に和歌山県の特産である梅を使った梅酒で成功し、08年には現在に続く平和酒造を代表する日本酒「紀土」が生まれた。「日本酒は米、水、こうじ、酵母からなる農産加工品です。ワインも同じくブドウと水、酵母から成っていますが、日本酒のほうがその製造工程において人の携わる要素が多い。つくる人のパフォーマンスがより明確に表れるお酒なのです」
なるほど、ワインは生産される土地や気候といったテロワールが重要とされるが、日本酒は人に依るところが大きいというわけか。そしてその人のかかわり方も昭和、平成を経て大きく変容しているようだ。
「まず、杜氏や蔵人が季節雇用されて酒を造り、蔵元は経営だけを見ていた第1世代。次に、蔵元自らが酒づくりにかかわる第2世代。いまもこのスタイルを採っておられる酒蔵さんもたくさんあります。でも、私が考えているのは、蔵元はあらためて経営者となり、蔵人たちを正社員として通年雇用する。そして、ものづくりの現場だけで終わらせるのではなく、販売やマーケティングにも関わってもらうワンストップのチームです。それぞれが自由に個を生かして活躍できる組織づくりを蔵元が束ねるという姿。いわば蔵元2.0でしょうか(笑)」
平和酒造のユニークな点として、蔵人たちが大卒で新卒採用されていることが挙げられる。採用には毎年2,000人もの応募があり、倍率はおよそ1,000倍にもなるという狭き門を通過した蔵人たちは、日本酒づくりの現場だけではなく、新商品の開発や、イベント参加、SNS発信等にも積極的にかかわる。結果、上意下達ではなく、それぞれが自発的に活躍する「個が立つ組織」が生まれつつある。
自著『個が立つ組織』では持続的成長をもたらすための組織論を事例とともに解説している。「ベンチマークにしているのは、例えば米国西海岸のベンチャー企業の気風です。それぞれがいきいきと自由に動ける雰囲気で、楽しんで仕事をしてほしい。従来の酒蔵で入社初年度の仕事といえば掃除や洗濯などの下働きが主でしたが、それでは人がついてこない。我々、日本人は苦労を尊ぶことが好きなようですが、『汗と涙の結晶』がよしとされたのは前時代のこと。いまはもっと合理的なスタイルが求められていると思います」
山本が酒蔵に入社して約15年で、売り上げは一度も落ちることなく、およそ2倍の12億円(20年)へと増加した。中田英寿と共同開発した梅酒入りチョコレートや、堀江貴文率いる宇宙事業のロケット燃料の一部に「紀土」が使用されるというニュースは大きく報道されたが、22年には東京・兜町にどぶろく醸造所の開業を予定するなど、さらなる話題を呼ぶ仕掛けも着々と準備されている。
「すべてはいい酒をつくるため。そのためにいいビジネスサイクルを回すのが、私の経営者としての蔵元の務めだと考えています」
その“いい酒”がいかに高価値な日本酒であるか、は冒頭のシーンが証明してくれているというわけだ。平和酒造のうららかな春をたたえたい。
山本典正◎平和酒造代表取締役社長。78年和歌山県生まれ。京都大学経済学部卒業後、人材系ベンチャー企業を経て、04年実家の酒蔵に入社。19年京都大学経営管理大学院修了。主な著書に『個が立つ組織』(日経BP)、『ものづくりの理想郷』(dZERO)など。