この発表は世間で賛否両論を巻き起こした。東京一極集中が問題視されているが、大企業が1000人を超える規模で地方に本社機能を移した例は聞いたことがない。地方創生を加速させる取り組みに称賛の声があがる一方で、ポーズだけではないかと懐疑的な声もあがるのも無理はなかった。
否定的な意見をどう受け止めているのか。代表取締役グループ代表の南部靖之は、屈託のない笑みを浮かべてこう答えた。
「そうなの? そういう声は僕に届いてない。みんな『パソナらしい』『ほかの人ならホントかと思うけど、南部ちゃんなら驚かない』って言ってくれてますから」
実は本社機能移転計画は急に降って湧いた話ではない。南部はすでに15年の時点で社員に向けて構想を発表。新入社員から毎年20人を選んで淡路島に社員を受け入れるためのチームをつくり、オフィスや住宅、教育環境、ITシステムなどの準備をしてきた。構想発表から5年が経過して、受け入れチームはすでに100人規模に。下地があったうえでの今回の発表だった。
そもそもなぜ移転を考えたのか。きっかけは11年の東日本大震災だ。
「あのとき東京を離れた企業も、喉元過ぎればで、みんな戻ってきた。でも、僕は地震や富士山噴火、テロなど必ず何かが繰り返されると思っていました。リスクは、喜びの絶頂期にどこからともなくやってくるもの。そう仮説を立てて、東京五輪・パラリンピックの20年から逆算して準備を始めたんです」
リスクが顕在化すれば、パソナグループの全社員約2万人を淡路島で受け入れて生活を守り、事業を続ける。何も起きなかったら、人を移して地方創生を推進するつもりだった。
今回は結果的にBCP(事業継続計画)より地方創生の文脈での移転になったが、「何も起きなければ、僕は移転を口で言うだけのオオカミ少年になっていたかも。コロナ禍が背中を押してくれた面がある」と心中を吐露。果断で知られる南部にとっても前代未聞のチャレンジであり、やすやすと決断できなかったことがうかがえる。