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2021.04.16

可士和さん、団地やらない?──創造の連鎖は、URの新しい街づくりモデルへ

団地の再生を託され視察に訪れた当時の隈研吾(左)と佐藤可士和(右)

2021年2月3日から5月10日まで、国立新美術館で─佐藤可士和展─が行われているが、過日、展示の一例でもある「UR洋光台団地再生プロジェクト」に関するイベントが同所で行われた。プロジェクトの主体であるUR都市機構をはじめ、建築家の隈研吾、ブックディレクターの幅允孝など、プロジェクトに関わった多数のメンバーが集結。本事案についての魅力について語られた。

団地の再生───、このプロジェクトは構想から10年の歳月を要した。その場所に住んでいる人たちがいる中で、まるごと価値を上げるという試みは、人口減少、都市部への人の集中、高齢化社会にコミュニティの希薄化など、日本の持つさまざまな課題に一石を投じる好例となった。

リニューアルした洋光台団地の公園の写真
リニューアルした洋光台団地北エリアの広場

URの課題は、日本の課題でもある


日本の人口は2004年を境に減少し続け、令和になってもその流れは止まらない。出生数も毎年前年を下回る状況が続いている。人口は都市部に集中し、東京圏の総人口に占める割合は、28%にも及ぶ極端にいびつな構造になっている。(H27.4月内閣府財政諮問会議より)

かつて、高度経済成長期に発展した団地。UR(都市再生機構)は前身である日本住宅公団の時代から若い家庭のために住環境を供給し続け、経済発展の土台を担ってきた。URの団地は現在、全国で約72万戸。その中には、築年数が経過し古くなってきている棟も多い。UR理事長の中島正弘は言う。

「高齢化や少子化の社会問題に加え、建物が古くなると特に若い世代の流入が少なくなります。団地の活力が減少し、これはURと住まわれている方々の問題でもあります。団地は住宅地の重要なコミュニティーの場でもあり、この衰退は日本社会の課題です。課題を解くのが我々のミッションで、団地を使って新しい未来社会を再生することをやらなければならないなと感じていました。横浜市『洋光台』団地もそのひとつでした」

この大きな課題にURが望みを託したのは世界的な著名建築家である隈研吾だった。2011年、プロジェクトの起点となる有識者会議の座長を依頼した。住人が生活している状態での団地の再生、あまりにもむずかしいこの依頼は断られる覚悟で打診したという。

しかし隈は前のめりにその依頼に応えた。隈の世代は、団地の生まれた時代に育った主人公たちである。隈は言う。

「やってみたい、いや、やりたかったとまず思った。なぜなら団地というのは、日本が誇るべき〈文化遺産〉と呼べるものだからね。世界中を見渡しても、一カ所に大勢が住み、しかもきちんと管理されているという住居はどこにもない。6、70年代に盛んに建設され、当時団地は憧れの住まいだった。割とフラットで貧富の差が少なく、シンプルだけどかっこいい、それを好む日本人の気性にも合っていた。そんな団地をもう一回再生することができたら、世界に誇れるものになる。僕自身、洋光台の近くの大船に中学、高校と通学し、ここの団地のことは知っていたしね」

コミュニティをみんなで作ろうという活気のある時代に戻れたらと感じた隈は、引き受けると「人選」に注力した。

「団地というやりがいのあるいい素材はなかなかない。新しい風を入れるなら、可士和さんや上野千鶴子さんをはじめ、リベラルでかっこいいひとたちと仕事がしたい」

2011年、アドバイザー会議で隈は佐藤可士和に声をかけ、ともに動き出すこととなる。そして2015年、いよいよプロジェクトが動き始める。
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文=坂元耕二

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