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可士和さん、団地やらない?


佐藤可士和は言う。

「ある日、隈さんから『可士和さん、団地やらない?』と言われました。団地ってあの団地ですか?って聞き返しました(笑)」

世界の隈研吾がなぜ団地? インパクトと意外なギャップに驚いたというが、それはすぐに彼の頭の中で「解釈」された。

「僕が幼少の頃は普通の家に済んでいたのですが、真新しい団地が近くにあり、友達の家がちょうど5階で見たこともない眺望が広がっていた。団地の中で鬼ごっこをやったり、とてもいい思い出があります。当時の団地を経験している者としては、昭和の頃の幸せな記憶があり、隈さんから発せられた言葉は意外でしたがとてもポジティブなイメージがわきました」

クリエィティブの持つ力を信じ、数々の作品を世に送り出してきた彼は「やらせてください」と快諾する。

建設当時の洋光台団地の古い写真
昭和40年代、建設途中の洋光台団地(URのYouTubeより)

今回のプロジェクトの対象である洋光台団地は、昭和40年代に建設され、広大な面積に約80の住棟、かつては500人以上の小学生がいた時期もあったという。隈いわく、6、70年代の団地は「整然と並ぶのではなく微妙な角度のズレ」があり、その配置から広い間隔が保たれ、ゆるい印象を生む。「こういうゆるさを持った空間に住むことは、とても豊かなこと」(隈)というこの団地も、50年以上が経過し、老朽化と住人の減少という課題に直面していた。

日本の課題、URが抱える課題、そして50年以上が経過した洋光台団地の課題。課題が山積する「団地の再生」を前に、まず隈と可士和は現地を見てまわったという。

「何時間もかけて二人でまわって、あそこのゆるい感じがいいよねとか、これだけ集まって住んでいるってすごいことだなとか、集まっているからこそ都心では考えられない広場が手に入るとか、そういうことが少しずつ感じられ、全体像が分かってきました」(可士和)

隈との二人の時間が、「振り返れば最もクリエィティブな時間だった」と語る。そして、隈を筆頭とするアドバイザー会議と、横浜市や自治会などを中心とするエリア会議が立ち上がり、2015年「団地の未来プロジェクト」は具体的に動き出した。

集まって住むというパワー


可士和はまず、「プロジェクトをデザイン」した。壮大で、多くの関係者が存在する事業を進める前にはコンセプトを提示することが重要だ。

「これだけ集まって住んでいるということをどう価値化したらいいんだろうと最初に考えて、そこから『集まって住むパワー』をコンセプトにと考えたのです」

話はコロナ禍以前のこととはいえ、今あらためて「集まる」ということについて可士和に問うと、コンセプトの理由とともに教えてくれた。

「当時からこれは、イベントのような単に人が密集するという意味ではありません。住人がひとつのエリアに集まることで、大きな空間が手に入り、コミュニティが生まれるということなんです。世界的にもこれだけ集まって住んでいる集合住宅はない。再生には、ここを強みにしようという発想ですね」

可士和は同時に、「シェア、クラウド」という言葉を掲げた。集まって住み、大きなコミュニテイになるからこそシェアできるものがある。この考えを形にするため、可士和は新たなプロジェクト推進の手法として、オープンイノベーション方式を採用。「トーキング」という仕組みを作り、さまざまな分野の有識者や地域の人たちとのワークショップを重ね、アイデアを持つ人々の発想を団地の文化に取り入れた。イノベーションは違った価値観が集まって生まれるものだからだ。

その具現化のひとつとして、トーキングをきっかけとしたブックディレクター幅允孝との取り組みは、今回の再生の個性をよく表している。

文=坂元耕二

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