三陸の若手漁師たちが立ち上げた「フィッシャーマン・ジャパン」のアートディレクター、そして海の課題をクリエイティブに解決するチーム「さかなデザイン」の代表を務める安達日向子氏。彼女はデザイナーであり、クリエイティブディレクターでもあり、2019年からは自ら海に潜る潜水士でもある。
漁師からIT業界までとにかく多様なメンバーと仕事をするのが常という状況下で、彼女はポジションや役回りを巧みに変えながらスキルを発揮し、数々のコラボレーションを手掛けてきた。そして、私たちが想像するようないわゆる「漁師」や「水産業」の既存イメージからはかけ離れた、スタイリッシュなデザインやユニークなアイデアを形にし続けている。
なぜデザイナーだった彼女は「水産業」に没入したのか、そこからどのような経験を経て色々な顔を持つクリエイターとして活躍するようになったのか。安達氏に話を聞いた。
安達日向子|2011年4月、ボランティアとして初めて石巻を訪れ、武蔵野美術大学を卒業後、デザイナーとして東京で数年働いた後に石巻に移住。2015年に「フィッシャーマン・ジャパン」にアートディレクターとしてジョインし、2018年に海の課題をクリエイティブに解決するチーム「さかなデザイン」を立ち上げ、その代表兼クリエイティブディレクターを務める。
「リアリティがない」今起こっていることを確かめに石巻へ
東日本大震災が起こった2011年当時、安達は武蔵野美術大学でデザインを専攻する大学生だった。安達の祖母は石巻の出身で、訪れたことのある町が、慣れ親しんだ場所が、津波に根こそぎ流されていくのを目の当たりにして、「石巻のために何かしたい」という衝動に駆られた。
しかし、メディアを通じて伝わってくるのは、繰り返し流れる同じ映像に細々と更新される被災関連の数字、著名人が行うチャリティ活動……。「リアリティがない」と安達は思った。多くの人が命を落とし、その何倍もの人が悲しみに暮れている中で、今まさに起こっていることの実態が見えないことに不安になった。
今現地の人から何が求められているのか。デザイナーとして自分に何ができるのか。それを自分の目で見て考えたいと思い、2011年の4月、学生ボランティアとして石巻に飛び込んだ。
実際に石巻を目にした安達は「デザインとか言ってる場合じゃない」と思った。泥かきでも掃除でも、やれることはなんでもやった。ある日、現地の人に頼まれて、絵を描くことになった。デザイナーにとって絵を1枚描くことは造作もないこと。しかし彼らは、その絵を見て涙を流し、心から喜んでくれた。
「大事な思い出の品が全て流されて、写真1枚残ってない彼らにとって、1枚の絵がどれだけ大切なものになりうるのかを思い知りました。クリエイティブの持つ力と、それが人と人の間にあるからこそ生まれる意味。そういうものを教えてもらった気がして、その光景は今も目に焼き付いてます」
(c)Hinako Adachi