被災後の石巻には、世界トップクラスのクリエイターやジャーナリストが世界中から結集していた。小さな町の中で、皮肉なことに、普段だったら会えないような人に会うことができ、それまではあり得なかったような面白いことが次々と沸き起こる。その舞台に居合わせられたことはある意味「ラッキーだった」と安達は語る。
その中の一人、世界の最先端で活躍するクリエイティブディレクターの岩井俊介氏との出会いで、安達の世界は一変した。当時、岩井は石巻にいる若者向けに、クリエイティブのいろはを伝授する機会をたくさん作っていた。そこで、どうやって課題に切り込み、プロジェクトを立ち上げ、メッセージを伝えていくのか。言葉の使い方から表現に至るまで色々なことを、安達は実践的に叩き込まれた。
やるべきことや課題が山積みの中で、困っている人の話を実際に聞きながら、どうしたらいいかと一緒に悩みながらトライアンドエラーを繰り返す日々。そこでのクリエイティブには全てリアリティがあったと安達は目を輝かせる。
美大生だった頃からずっと、安達は「リアリティ」を求めていた。なぜそうなるのか。本当にそうなのか。何に対しても無意識にそこを追求していた。
デザイナーは、「どうなるのか」に意識が向く人と、「なぜそうなるのか」に意識が向く人の2つに大きく分かれるという。安達はそれをどう表現するのかよりも、その根底にある「なぜ」を掘り起こして、本質的な答えを探そうとするタイプであることを自覚し、新たなデザインの世界に足を踏み入れ始めた。
「何かを作ることだけがデザインじゃない」
大学を卒業後、安達はフリーランスのデザイナーとして東京で働いていたが、伝える相手が見えない中で、「誰のために、何のためにやってるんだろう」という葛藤が消えることはなかった。そして2013年、石巻に移住し、三陸の若手漁師たちが立ち上げた「フィッシャーマン・ジャパン」に出会い、2015年にそのアートディレクターとしてジョインした。
フィッシャーマン・ジャパンは、漁業のイメージをカッコよくて、稼げて、革新的な「新3K」に変え、次世代に続く未来の水産業の形を提案していく若手漁師集団だ。新しい働き方や業種を超えた関わりによって、水産業に変革を起こすことを目指し、様々なクリエイティブなプロジェクトを展開している。
(c) フィッシャーマン・ジャパン
それまでの安達はグラフィックデザインなどいわゆるデザイナーとしての仕事が主だったが、そこではコンセプトメイキングから企画のプランニング、ディレクションまで幅広い役割を手がけるようになった。
「手を動かして何かを作ることだけがデザインじゃないんだ」という感覚が安達の中に染み渡っていった。
人に何を伝えたいのか、それをどんな風に見せてどう説明するのか、それによってどんなことを実現したいのか。その全てを包括的にデザインする。それを実行していく中で、必要な時にクリエイティブを武器にすればいい。そんなデザインの本質を、師匠たちの教えと現場での試行錯誤から体得していった。