形と心 進化するメディアの両極から考える

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メディアの分類


どんなメディアも最初はどう使っていいか誰もわからず、利用者が前の時代の連想をしながら四苦八苦しながら慣れようとする。自動車は最初、馬が付いていない馬車として、電話は音の聞こえる電信として扱われ、情報を電気信号で伝えることを理解できない人たちは、電話で荷物も送れると思って電話線に括り付けたという笑えない話もある。

現代のメディアもこうした形と心という視点で見てみると、いろいろな見方ができるようになる。1980年代にはパソコンやファミコンが売り出され、コンピューターと電話を接続して通信するパソコン通信が始まり、情報通信という言葉ができ、何か新しい世界が開ける予感を込めて、「ニューメディア」という和製英語が流行した。

計算のためのコンピューターが電話にもつながり、文字ばかりか画像や音声も取り込んで、テレビやラジオや新聞や雑誌のようになっていく。いわゆる従来型のメディアの分類を壊した新しいメディアが出現する予感が世の中にあふれたのだ。

まず大きな問題になったのは、電話という公的で規制の対象となるメディアと、個人がいくらでも自由勝手にアイデアを形にでき操作できるパソコンのような情報処理の機械が一緒になったとき、そのハイブリッドとして登場したサービスは電話のように規制すべきかという問題だった。

アメリカでは通信の規制当局であるFCC(連邦通信委員会)が、何度かコンピューター調査(Computer Inquiry)を行い、新しいサービスがどれだけ公共性があるか、そしてその度合いや利用法によって規制すべきなのかが論議された。

結局この話は、現在振り返ってみれば、インターネットの祖先の評価をするような話で、ネットでは電話と同じく、もしくはそれ以上の機能を持った通話アプリもあるが規制の対象にはなっていない。

それが独占的で排他的でなければ、また全面的に有料でなければ問題ないという判断なのだろうし、こうしたサービスが基本インフラである電話の市場を奪っているものの、もはや電話自体がインターネットのプロトコルで動くようになってしまっている。

こうした時代に、ハーバード大学にあるメディア業界の政策シンクタンクPIRP(Program on Information Resources Policy)では、情報産業と呼ばれるものの総体を捉えようとする研究が盛んになり、中身(コンテント)とそれを伝える手段(伝送メディア:パイプ)の軸で分類する分類図を描いていて、アップルが1990年代にマルチメディアの論議をする会議で使っていたが、それを現在でも違和感がないようにちょっと手を加えてみた。


この図では、中身(コンテント)のソフト度を横軸(X)にし、伝達方法(パイプ)のソフト度を縦軸(Y)にして、その上にいろいろなメディアをカテゴリー別に並べてみる。Xは左、Yは下に行くほどハード寄りで、また逆方向に行くとソフト寄りになっていく。

するとXとY両方の度合いの低い左下には、メディアの中身より器としての役割が高くモノの割合が高いものとして、オフィス用の書類やタイプライターのような一群が分類できる。次に右下には中身に比重があるがモノに近いテレビや新聞や本といった従来型メディアが出て来る。そして左上方面には中身の如何を問わずもっぱら伝えるテレコム産業が出てくる。そして右上には、器や形に最も影響を受けないものとして、究極のソフト産業とも考えられる情報サービスが位置付けられる。
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文=服部 桂

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