あの人に食べてもらいたい。改めて「常連」の存在を考える

放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」では、今夜も新しい料理が生まれ、あの人の物語が紡がれる……。連載第5回。


東京・六本木のはずれ、飯倉片町にその店はある。「CHIANTI(キャンティ)」──昭和35(1960)年に誕生し、いまもさまざまな個性ある人々を魅了しつづけるイタリアンレストランだ。

創業者は川添浩史と梶子夫妻。ヨーロッパ帰りの彼らは「文化的サロン」の役割を担う場を目指し、同店を開いた。営業は午前3時までで、遅い夕食をとる放送・芸能関係者や、映画監督、作家、デザイナーなどの文化人、政財界の人々から皇族関係者までが訪れて賑わったという。店のモットーは「子供の心をもつ大人たちと、大人の心をもつ子供たちのために作られた場所」。まさにその言葉を体現する(と僕が思う)かまやつひろしさんは、「ふと見ると隣の席では、フランク・シナトラやマーロン・ブランドなんかが食事してる。僕ら若造は震えながら挨拶し、いろんなことを教わった。それはあたかも、真夜中の学校のようだった」との言葉を残している。

僕がそんな“真夜中の学校”を初めて訪れたのは20代半ばだった。当時、石田純一さんとご一緒したこともある。石田さんがシーザーサラダを頼み、ウェイターが目の前でニンニクを潰しながら仕上げてくれたのだが、「これは常連しか頼めないメニューなんだよ」と言った石田さんのちょっと得意げな表情が忘れられない。確かにこれまで食べたシーザーサラダより格段に美味しく、「いつか自分も頼めるようになったらいいな」と感じたものだ。

僕は一時期出店していた自由が丘店を経て、飯倉片町本店や西麻布店にも足繁く通うようになり、創業者の次男で二代目社長の川添光郎さんとも懇意になった。現在のキャンティはその息子の川添隆太郎さんが継いでいる。60年続く店の魅力は、僕が思うに、料理が高級でありながら気取っていなくて、好きなものを好きな量だけ頼めるところ。それから“大人”が働いているところ。若いスタッフもいるが、キャンティには長く(それこそ20年以上)働いている方が多い。ワインや食事、歴史など付け焼き刃ではない奥行きのある知識をもつ人がいるだけで、店には安心感が漂うものなのだ。

キャンティとの縁はそれだけではない。2004年に放送されたドラマ『あの日にかえりたい。〜東京キャンティ物語〜』では脚本を担当した。画期的だったのは、FMラジオ局であるJ-WAVEと日本テレビのコラボレートだ。J-WAVEでは六本木が最も輝いていた60〜70年代の文化、とりわけ音楽にフォーカスする特別番組を5夜連続で放送。ドラマでは主人公の内山理名さんがJ-WAVEディレクターを演じた。ナレーションはキャンティと縁の深い松任谷由実さんで、ドラマの最後にはキャンティの壁(セット)が割れて、奥のステージにいるユーミンが歌い出す……という豪華な演出。視聴率的にはふるわなかったけれど、僕の知らない時代も含めたキャンティという店、ひいてはレストランの存在意義を考えるよい機会になった。
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写真=金 洋秀

この記事は 「Forbes JAPAN No.077 2021年1月号(2020/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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