3.11 東日本大震災から10年 福島県相馬市で暮らす88歳の母は何を想うのか

福島県相馬市でドキュメンタリーの撮影をする筆者(左)と母(右)


あれから10年、飴のように曲がった線路を直し、ぶら下がった橋を架け直し、ひび割れた道路を復旧し、田畑には緑が戻ってきた。

風評被害に泣かされた日もありながら、農産物は立派に生長し、いまでは「福島ブランド」を誇るものも少なくない。相馬名物ほっき貝や岩の子の青のりも元気を取り戻しつつある。

港にはまだ漁に出られない船が風を受けながら停泊し、まだまだ完全とまでは言えないが、ようやく前を見て歩み始めたのだ。

そんな「復興」に水を差すような「コロナ禍」という新たな恐怖。自然災害に感染症との闘い──大自然のメカニズムにはあらがえず、人類が古から繰り返してきた脅威との闘いは続いていくのだろう。

しかし、避けられる「脅威」もある。

人は「飢え」や「資源不足」から、戦争を繰り返してきた。かつての日本も資源不足から、南方へ手を伸ばし戦争へとひた走った。自分たちで回避できる「災難」があるとしたら、それは「戦争」である。

二度と同じ過ちを、繰り返してはならない。

何があっても、故郷の山はいつも悠々と横たわる。あの日から10年を生かされて、今日あることを感謝し、すべての人にありがとうと伝えたい。

そして、いつか故郷の海に、かつての活況が戻ることを信じている。

88歳、あれからと、これからを大切に生きてまいります。

令和3年3月 福島県相馬にて 武澤順子 




母からの手紙を読んだ瞬間、なんだか自分が恥ずかしくなった。

10年たったから何だというのか。被災地ではいまも苦しんでいる人たちがたくさんいて、まだまだ支援を必要としている。本当の意味で「復興する」ためにはまだまだ道半ばなのだ。

だからこそ「忘れずに伝えていくこと」が、自分たちメディアには必要なんだ! そして自分には、伝え続けていきたいことがあるんだ。

そんな思いが体を貫いていくなかで、ひとつの言葉を思い出した。それは東日本大震災をきっかけに知り合った中学生の少女が、当時80歳の母にかけてくれた言葉だった。

「大切なのは、いままでではなく、これから」

文・写真=武澤 忠

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