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さまざまな「温度差」や「葛藤」と闘いながら続けてきたプロジェクト。当初話していた「10年」を迎え、これで自分的にはひと区切りついたのか? そんな思いもよぎっていた。

そんなとき、今年も、福島県相馬市でひとり暮らしをしている、米寿(88歳)を迎えたばかりの母から1通の手紙が届いた。

「復興」に水を差すような「コロナ禍」


母からの手紙

令和3年2月13日深夜、それは起きた。

福島県沖で発生した最大震度6強の地震はマグニチュード7.3を観測。2011年の東日本大震災の余震というから、その息の長さには恐怖を感じる。

10年ひと昔とは言えない恐怖と不安が、一気に10年前を蘇らせた。ぐらんぐらんと続く長い揺れ……、思わず家の裏口から飛び出した3.11のあの日を思い出す。

あの日、庭の柿の木につかまって家の方を見ると、建物全体がゆらゆら揺れているのをはっきりと目にした。

まもなく「津波が来るから避難せよ!」と消防の人がまわってきた。幸い、高台にあるバイパスまで避難できたが、直後に目の前の道路にひたひたと押し寄せてきた白い波頭を見た時、生まれて初めて見る津波の恐ろしさを、身をもって感じた。

そこから数日間は公会堂に避難し、家へ帰ったときは、津波が押し寄せ床の上まで泥が上がった屋敷を見て、絶望感に言葉を失った。

わずか3カ月前に、事故で亡くなった夫の遺影だけが、泥まみれの部屋のなかで無事だった。

役所の判定は「半壊」……、もう住むことは不可能だった。家族の想い出が染みついた築50年の家は、取り壊しを余儀なくされた。

多くの命が失われ、福島では地震や津波に加え、原発事故という大きな災難にも見舞われた。

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それでも、人は生きている限り、立ち上がらねばならない。庭の泥を掬ってくれていた女子大生のボランティアさんが、津波を被った古い「さつき」の株を見て、「この木、生きている!」と叫んだ明るい声が、いまでも忘れられない。

家を取り壊した時、不覚にも涙が止まらなくなるなか、残骸のなかから津波で見失っていた「金婚式の証書」が出てきた。それを見て私は、亡くなった夫から私へのメッセージだと感じた。「お前は生きろ」という。

文・写真=武澤 忠

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