同社は顧客と長期的な関係を築くことにより事業を成長させる「インバウンド」の思想のもとに2006年米国ボストンで創業し、その製品は2020年には米メジャーレビュー・サイト、G2にて中小企業向けCRMプロダクト部門で第1位、エンタープライズ部門で第2位に輝いた。
その成功には、CCO(最高顧客責任者、Chief Customer Officer)という役職の新設、そして同職に就任したヤミニ・ランガンの存在が大きく寄与している。
ランガンは、Dropboxなどでも顧客中心主義概念を浸透させたキャリアをもち、19年にはSan Francisco Business Timesで「ビジネス業界で最も影響力のある女性」の1人にも選ばれている。今回ランガンを迎え、CCOの役割、顧客中心主義とは、そしてSTEM(サイエンス/科学、テクノロジー/技術、エンジニアリング/工学、マセマティクス/数学)分野における女性のキャリアについて話を聞いた。
カスタマーサービス部門単体の領域を超えたCCOという役割
CCOとはカスタマーサービス部門を統括するだけの役職ではない。顧客体験のすべてを最善にするためのプロセスや組織の構築、および部門間連携の推進も同職の役割だ。HubSpotは20年1月からCCOを創設し、ランガンが初の就任者となった。現在、彼女は同社のマーケティング、営業、カスタマーサービス、レベニューオペレーションズ部門を横断してそのすべてを統括している。CCO創設の経緯と意義をランガンはこう語る。
「顧客体験全体に対して単独で責任をもつ者と合理的なプロセスを設けることで、顧客体験に影響を与える意思決定を迅速に行える体制を整えていく必要があったのです」
部門間連携の推進は開始時に時間がかかったとしても、長期的には時間と費用の節約につながるとランガンは確信している。
「各部門がサイロ化し分離されたままでは、より多くの会議や人材、そして各部門間のギャップを埋めるやりとりが必要になります。部門連携がスムーズな組織構造があれば、それらはカットできる。各部門に配置したリーダーたちによる意思決定グループがその役割を担います」
20年後半、HubSpotは部門間連携をさらに一歩進め、それを加速させるためのチーム、「レベニューオペレーションズ部門」を新設した。そしてすべての部署で年間の業務内容を共有し、戦略を実行することを徹底した。組織内で業務の優先順位を明確にすることで、メンバーがオーバーワークを避け顧客体験のさらなる向上に力を注げる体制を整えたのだ。
「私たちの組織には4つの柱(Pillars)があります。マーケティングチームは顧客を惹きつけることに注力し、営業チームは顧客のエンゲージメントに尽力する、カスタマーサービスチームは顧客に満足していただくことに集中し、レベニューオペレーションズチームは全領域においてデータ、システム、戦略を統一管理するのです」
最高の顧客体験が事業の成功をもたらす
HubSpotは「期待値を超える(Delightful)」顧客体験を届けることを目指している。ランガンによると、そのためには「アート(芸術的な勘)」と「サイエンス(科学的な理論)」が必要であるという。
まずは、アート。ここでのアートとはHubSpotの企業文化の中にあるという。
「HubSpotは、企業の第一原則として『Solve for the Customer (顧客のために解決する)』を掲げています。これは、一つひとつの意思決定において『企業にとっての価値』ではなく『顧客にとっての価値』を基準とするということです」とランガンは語る。
「具体的には、お客様の『いま』を起点に考えることから始めるのがよいでしょう。例えば、お客様はどのように商品をリサーチするのか、どのように購入するのを好まれるのかといった視点をもつことです。そのためにはお客様の声にじっくりと耳を傾ける必要があります。HubSpotではお客様からのフィードバックを分析する『Voice of the Customer」という専門チームを設けたり、経営陣が参加する『カスタマーファーストスタッフミーティング」という名前の会議でお客様の声を直接伺う機会をつくったり、全社会議にお客様をお招きして話を聞いたりといった取り組みを行っています。また、『Customer Advisory Board(CAB、顧客顧問委員会)』を設置し、委員会メンバーの顧客から意見を集める仕組みもつくっています」
次にサイエンス。それは「チーム」「戦略」「システム」そして、「インセンティブ(目標設定など)」という4つの要素の方向性を合わせていくことだという。これにより、「欲しい情報が見つからない」「営業と話した内容がカスタマーサービス部門に引き継がれていない」といった顧客体験上のFriction(摩擦)の発生を避けることができるとランガンは語る。
「顧客を起点に考え、行動し、自社の成功と顧客の成功を両立させる企業こそが成長を実現できるのです」
顧客中心主義がコロナ禍を乗り越えるカギにもなる
HubSpotの顧客中心主義に基づく企業経営の姿勢は、このコロナ禍でも決してブレることなく、むしろ強化された。パンデミックの危機のなかで、HubSpotは同社のサブスクリプションをダウングレードした顧客に対してもサポート体制を緩めず、困難に陥った顧客を支援する予算を新たに組んで、個々のニーズに合わせた解決法を模索し続けている。どのような事業にも、追い風の時期と向かい風の時期がある。HubSpotは長期的な視点をもって顧客の事業の成功を支援するCRMプラットフォーマーとして行動していくと、ランガンは力を込める。
「コロナ禍によって生じた企業を取り巻く環境の変化やお客様のニーズの変化を受け、HubSpotはマーケティングや営業活動をすばやく修正しました。例えば、企業が世界のマーケティング活動や営業活動のトレンドを把握できるよう、HubSpotのCRMを利用する顧客データを匿名化して業界別、地域別、企業規模別に集計したベンチマークデータを公開したり、eラーニングシリーズ「ADAPT」を新設したりしました。これらは、ニューノーマルにシフトしたお客様に寄り添っていくための新たな取り組みです」
「私の好きな考え方のひとつに”リテンションは新たな獲得であり、サポートは新たな営業である(Retention is the new acquisition, and helping is the new selling)”というものがあります。顧客との継続的な関係性、そして危機にも対応できる柔軟で適応性のある思考力に“成長”は現れるのです」
女性のSTEM分野の先駆け的存在として
誰にとっても未曾有の難局であるパンデミックにおいて顧客と向き合うランガンのパワー。これは彼女がSTEM分野における女性の活躍の場を切り開いてきた過程でも培われてきた。インドでエンジニアの父のもとに生まれ、父が経営する農業用機器関連の職場を訪れるうちに、本格的にその道を目指すようになり、コンピューターエンジニアリングの学士号を取得。その後渡米し、同教科の修士号、さらにはUCバークレー校でMBAを取得した。
「1990年代初期、エンジニアリングの教育機関内の女性は極少数で、常に自分の存在価値を証明しなければなりませんでした。そんななかで私は、他人に自分を真剣に受け止めてもらうには、自分が自分を真剣に受け止める必要があると学びました。この経験は現在も私の職業倫理のひとつです」
ダイバーシティの問題に注目が高まる昨今、さまざまな団体や推進者たちがSTEM分野の根本からの改善に動きつつある。ランガンも自らの経験を受けて、女性のためにテクノロジー領域のSTEM研修を提供する多くの組織に関わるなど、STEM領域におけるジェンダーの多様化推進に積極的に取り組んでいる。
「この問題は、より多くの女性がキャリアの初期からSTEMの領域に参加できるように環境を整えることで改善されると考えています。課題は沢山あり、動かさなければいけない山は目の前にあります」
そんな多忙な日々を過ごすランガンにとっては、リフレッシュが重要であり、常に心身の充電を心がけている。
「セルフケアができて初めて家族や職場でベストな自分を出すことができますね。週に何度かワークアウトしたり、ヨガの練習をしたり、常に3〜4冊の本を読み進めたりして、仕事と私生活のバランスをとっています」
最後に、デジタル・トランスフォーメーション(DX)ビジネスのフロントランナーとしていまなお走り続けるランガンに、今後の展望を尋ねた。
「パンデミックによりDXは選択肢のひとつではなく、必須のものになりました。ユーザーは簡単でわかりやすく、なおかつ高機能なCRMを当たり前のように求めています。HubSpotは今後もこのニーズを真に満たす製品の開発と提供、そして企業が「スケール(成長)」するのに役立つ最新のノウハウの発信を進めていきます。お客様にとって何がベストなのかは常に変化します。しかしお客様をすべての行動の中心に据えている限り、魅力的で進化した顧客体験を提供し続けることができると信じています」
ヤミニ・ランガン(Yamini Rangan)◎HubSpot最高顧客責任者(CCO)。カリフォルニア大学バークレー校でMBAを取得。2020年1月より、HubSpot初の最高顧客責任者に就任。マーケティング、営業、カスタマーサービス、レベニューオペレーションズチームを統括。2019年、San Francisco Business Timesのビジネス業界で最も影響力のある女性(the Most Influential Women in Business)の1人に選出。
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