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ゼロイチの創り方を考える


しかし、抹茶の粉は水に溶けにくいという特徴があるため、注文が入るたびに抹茶を点てていたのではオペレーションが回らない。そこで、大量の抹茶の粉を水で撹拌し、抹茶の濃い「原液」を事前に作っておくようにした。濃い抹茶の原液をベースにして、メニューに合わせて分量を変えたレシピを作っていったのである。

この方法によってオペレーションの大幅な効率化が図れただけでなく、新しい抹茶ドリンクの飲み方も見つけることができた。サンフランシスコでは、抹茶ラテひとつとっても、「私はアーモンドミルク」「私はオートミルク」「私は通常ミルクのラテで、甘さ無し」というように、ミルクの好みや欲しい甘さなどお客さんの好みによって様々な注文が入った。

ペットボトル飲料のようにメーカーが規定した「ベストな一つの味わい」を消費者に押し付ける世界とは違い、濃い抹茶の原液を核にしながらも、様々な抹茶の飲み方を提供して、お客様に愉しんでいただく世界がそこにはあった。このような顧客体験を作れたことが、その後Cuzen Matchaを開発する上で、多いに役立つこととなった。



ガレージスタートアップ


カフェはオープン以来大盛況で、軌道に乗ってきたところだったが、日本の本社から塚田に帰国命令が出てしまう。いくら順調に進んでいるとはいえ、1軒のカフェが生みだす経営インパクトはたかが知れている。過去に日本でその数十倍から数百倍の売上を作ってきた実績のある塚田に取ってみれば当然の辞令だった。

しかし、塚田にとっては「米国で絶対に抹茶の可能性がある」と信じて始めた事業だ。しかも、カフェの成功でそれは確信にかわりつつあった。そんな中、大企業の理屈で「次は、日本で、違うプロジェクトをやってくれ」と言われただけでは、諦めることはできなかった。

「ここで自分が米国での抹茶の挑戦をやめてしまったら、いつか他の誰かが必ず成功させる。そして、それを見た自分は絶対に後悔する」。塚田は、新卒で入社して以来、21年間苦楽を共にしてきた会社を離れ、米国で、もう1回ゼロからチャレンジすることを選択した。

初めは、共同創業者とエンジニア、プロダクトデザイナーの4人でチームを作り、マシーンの開発に着手。スタートから5カ月で最初のプロトタイプが完成した。エンジニアの自宅ガレージで3Dプリンターを使って製作した、塚田の言葉を借りると「ハリボテのプロトタイプ」だった。


本人提供写真

そのプロトタイプはスピードが異様に遅く、茶葉を碾くことはできたものの、マシーンの上から叩かないと、碾かれた粉が下に落ちてこない代物だった。ただ、それでも今のマシーンが持っている「円窓を持ったデザインに、マシーンとして必要な機能が入ること」は確認できたので、そのプロトタイプを片手にマシーンの共同開発・生産を行ってくれるパートナーを探し始めた。いくつかの幸運と縁が重なって、2019年7月から本格的な開発が始まった。

文・写真=入澤諒

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