中国で多様化する「非公認教会」 政府の弾圧下も勢いを増す宗教事情

中国では非公認のキリスト教徒が増えている。写真は聖週間の日曜礼拝に参加する人たち(Getty Images)


彼は生涯を通じて政府の「三自愛国運動」に反対する立場を貫いたが、その理由として、著書「生命の冠(いのちのかんむり)」の中で、次のように述べている。

「政治と宗教は完全に分離されなければならない。三自愛国教会は政府の道具に過ぎない。私たちの教会は政治の関与から自由でなければならない。私たちの教会は主(神)にだけ頼るという信仰に導かれている」

つまり、教会が忠誠を誓うのは政府に対してではなく、神にこそ忠実であるべきだというのである。

王牧師は1955年に「三自愛国運動」に反対の立場を堅持したことから、逮捕され無期懲役の刑を言い渡される。23年間の獄中生活を送り、釈放されたのは文化大革命(1966‐1976)終了後の1979年のことであった。しかし、釈放されてからも自身の考えを誤りだったとは認めず、三自愛国教会から再三協力を求められても拒み続けた。

彼のように三自愛国教会に加盟しなかったキリスト教指導者は逮捕され、ほとんどが辺境の労働改造所に送られたり、投獄された。獄中で死亡した人もいた。

王明道牧師と同時代に活躍した指導者に、ウオッチマン・ニー氏(倪柝聲1903-1972)がいる。ニー氏は祖父の代から続くクリスチャンホームに育った中国人である。ウオッチマンという名前は「世に警鐘を鳴らしてこの世の邪悪から人々を守り正義に導いてほしい」という母の願いから生まれたという。

彼は17歳の時、神に仕える決心をするが、当時中国でさかんに活動していた外国宣教団体に全面的には同調せずに、友人たちと独立して伝道する道を選んだ。彼の伝道方針は聖書に基づいた福音主義の立場をとり、「どの都市にも活動しているキリスト教会を一つだけ置くべきだ」とし、1930年代には中国全土の各都市に教会を立ち上げた。

教会の特徴は神父、牧師といった聖職者をおかず、全ての信者が報酬を受けない神の働き人である、とする点だ。その会派は「地方教会」(ローカル・チャーチ)と呼ばれた。1949年の建国時にはその信徒数は7万人に達した。ニー氏は1952年に中国政府に逮捕され、20年後の1972年に獄中でその生涯を終えた。

文革中は家庭で礼拝を守り、生き延びた


文化大革命の間は、公認教会を含めて中国のすべてのキリスト教会が閉鎖され、聖書や讃美歌はことごとく焼却された。とりわけクリスチャンへの迫害は過酷であった。指導者が次々に逮捕、投獄される中で、残された信徒は家庭などで集会をもって生き延びた。

文革後、革命中は機能していなかった「三自愛国教会」が復活した。1982年には中国に新憲法が制定され、信仰の自由が保障されたが、外国の影響を受ける宗教組織の活動は認めないと明記されている。

改革開放政策以降は、非公認教会が急速に発展していく。しかし、社会の治安や団結を乱す「邪教」と見なされ、政府の弾圧を受けることが増えている。教会の建物が強制的に取り壊されたり、信徒が自分の家庭に戻ることを許されなかったり、礼拝中に突然、手入れが入り、信者が暴行されたり、拘束される事件が多く報道されている。
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文=廣田壽子

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