日本の宇宙開発の幕開け。初の人工衛星「おおすみ」から50年


本当に地球を回ってきた



当時30歳の井上浩三郎さんと、プロジェクトを率いた野村民也教授。

L(ラムダ)-4Sロケットを使った最初の打ち上げは1966年9月に行われたが、失敗。ラムダ計画は、そこから立て続けに4度の失敗を経験することになる。メディアは繰り返す失敗を大々的に取り上げ、世間の風当たりも強くなっていた。

そんな逆境のなかで迎えた、5度目の挑戦。1970年2月11日13時25分、L-4Sロケット5号機が打ち上げられた。ロケットは順調に飛翔し、搭載された試験衛星が無事軌道に乗ったことで、ついに日本初の人工衛星の誕生を確信した。それは打ち上げ射場のある大隅半島の名にちなんで「おおすみ」と名付けられた。

ロケットが見えなくなっても、現場は緊張が続く。「おおすみ」が地球を1周して日本上空に戻ってくるのを確かめるまでは、本当の意味での実験成功とはいえないからだ。そのためにロケットや衛星から送られてくる情報を受信するのが、井上さんが所属していた「テレメーター班」である。

なかでも井上さんは、受信した信号を見ながら指令電話でロケットの飛翔状況を時々刻々と報告する担当として、プロジェクトの成否を確認する重要な役割を担っていたという。

おおすみの電波を受信するアンテナ
「おおすみ」の電波を初めて受信した136MHzトラッキングアンテナ

グアム、ハワイ、エクアドルのキト、チリのサンティアゴ、南アフリカのヨハネスブルク──打ち上げ後、衛星の追跡に協力したNASAの各追跡局から次々と信号を受信したことが報告される。そして内之浦宇宙空間観測所では、打ち上げの約2時間半後の15時56分10秒、「おおすみ」の信号の受信に成功した。

「『おおすみ』からの信号電波は予想より2分半遅れて、西の山の方向から到来しました。最初にトラッキングアンテナが電波を捉え、間髪を入れず、18mアンテナも電波を捉え追跡することができました。約10分間の受信でしたが、衛星の搭載機器は正常。そのとき、本当に地球を1周してきたことを実感しました」と井上さんは言う。


ロケットの飛翔距離の増大に備え、テレメータの受信能力を向上させた直径18mのパラボラアンテナ

「実験班全員が緊張からパッと解放されて、最高の緊張から最高の喜びに変わりました。私はといえば、喜びがじわっと出てくる感じでした。それまでまんじりともせず、テレメーターセンターの片隅でこの瞬間を待っていた野村先生と『おめでとうございます』と握手をしたのを、いまでも覚えています」。

「野村先生」とは、L-4S-5号機の実験主任だった野村民也教授のことで、日本のロケットがペンシルからL-4Sロケットへと大型化していった時代に電気部門を支え、のちに宇宙科学研究所創設を実現させた人物の一人だ。
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文・取材=宮本裕人

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