日本の宇宙開発の幕開け。初の人工衛星「おおすみ」から50年


夢のあるミッション


「おおすみ」の信号は、打ち上げ後14〜15時間で途絶えている。しかし、「おおすみ」はその後33年間にわたって地球を回り続け、2003年8月2日、北アフリカ上空で大気圏に突入して消滅した。偶然にも、2003年は井上さんが定年を迎えた年でもあった。

「おおすみ」の成功は、日本の宇宙開発を切り開く道標となる。L-4Sロケットで培われた衛星打ち上げ技術は、地球の重力を利用して人工衛星を軌道に投入する、いわゆる“重力ターン打ち上げ方式”、最終段のみを姿勢制御して水平に打ち出す方式で、その後のミューロケットによる本格的な科学衛星の打ち上げに生かされている。

また、多くの失敗を重ねたからこそあらゆるリスクを想定するためのデータを得られたことも、のちに続く開発を急速に発展させることができたひとつの要因といえる。古くはブラックホールを含むX線天体の観測に貢献した「はくちょう」から、世界で初めて小惑星のサンプルを地球に持ち帰ることに成功した「はやぶさ」。「おおすみ」以降、日本は多くの探査機や科学衛星を宇宙に送り出し、数々の成果をあげ続けている。

内之浦宇宙観測所の様子
衛星が打ち上げられたときの内之浦宇宙空間観測所の様子。

御年81歳のベテランは、「自由な発想で、夢のあるミッションをやってほしい」と次世代の宇宙開発への期待を語る。

井上さんの言う「夢のあるミッション」とは、「おおすみ」のように、逆境のなかでも科学者たちを挑戦に向かわせるようなやりがいのあるプロジェクトのことだ。そして夢を掴むためには、何よりも「宇宙の謎を知りたい」という想いを持たなければいけないと井上さんは言う。

井上さんの写真
井上浩三郎 INOUE Kozaburo
1963年東京大学生産技術研究所入所、改組により東京大学宇宙航空研究所、文部科学省宇宙科学研究所勤務を経て、2003年定年退職。日本の宇宙開発の創成期から、日本初の人工衛星「おおすみ」をはじめ、多数のロケット及び科学衛星・探査機の開発と打ち上げなどを経験する。専門は宇宙通信工学。最近は童謡を歌う会に参加して楽しんでいる。

「おおすみ」打ち上げからの50年をまとめたムービーはこちら

※著作権表記のない画像は全て(c)JAXAです。

JAXA’s N0.82より転載。
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文・取材=宮本裕人

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