経済・社会

2021.02.22 07:30

世界と日本の「変革への熱量」に差が? オンライン開催されたダボス・アジェンダ


私は、それを聞いて、ハッとした。日本は、自粛を「要請」するという、ソフトロックダウンの政策で、コロナ禍と経済の両立を図ってきた。緊急事態宣言と言っても、スーパーへの買い出し、感染対策をしたうえでの飲食店の利用、在宅勤務は前提となりつつも出勤もできた。

2月3日に成立、公布された新型コロナ対策の改正特別措置法や改正感染症法では、営業時間短縮に応じない事業者や入院を拒否した感染者への行政罰は加えられたが、所謂ロックダウンの強制力とは比較にならないほど緩い。

ソフトロックダウンがもたらす弊害


民度や社会秩序水準を踏まえての、日本なりの強制力とも理解できるが、私は別の観点から危惧している。

それは、ソフトロックダウンがもたらす弊害だ。「泥縄だったけど、結果オーライだった」(「新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書」)でやってきたこの1年。その間、新しい生活様式等を提唱し、日本版のグリーン・デジタルリカバリーを叫んではいる。

しかし、グレートリセットが意味する抜本的な社会変革を、日本は達成できないのではないかという懸念がある。理由は、コロナ禍での原体験がもたらす国民1人1人の危機感、危機意識、変革への意欲が、強力なロックダウンを体験した国の人々とは明らかに開きがあるからだ。

内閣府が、昨年11月6日に公表した年次経済財政報告のタイトルは、「─コロナ危機:日本経済変革のラストチャンス─」だ。しかし、「ラストチャンス」と認識している日本国民はどれだけいるのだろうか。新型コロナ対策と経済活動の両立を行えば行うほど、またいつか「元に戻ることができる」という楽観意識を国民に植え付けることにならないだろうか。

社会変革のための国家資源は、政治家や経済界など限られたセクターだけではない。彼らの国際競争力を念頭に置いた意識変革は当然必要だが、国民自身のマインドセット、すなわち「変わらなければ日本の将来はない」という危機感をどれだけ多くの国民が持ち、共有できるかどうかだ。

コロナ禍の原体験から生まれる未来創造への熱量、その日本と世界との差を痛感し、世界のトップリーダーたちの将来に向けた変革の意欲に圧倒されたダボス・アジェンダの1週間だった。

連載:「想定外」の研究
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文=蛭間芳樹

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