「親父は結核で私が中学2年生のときに亡くなりました。親父は新聞を中央紙、地方紙、経済紙の3紙を取っていてね。その影響で僕も小学生のころから愛読していました。親父はよく『行間を読め』と言った。そのおかげかな。書いてあることを丸暗記するのではなく、背景にあるものを考えるようになったのは」
家族を養うため、高校卒業後、慶應義塾大学経済学部通信教育部に入学するとともに、小松信金に就職した。転機はほかの信金との合併話が持ち上がった27歳のときだ。当時、元谷は労組執行委員長。委員長が首を縦に振らないと合併は進まない。住宅産業で独立を考えていた元谷は、大蔵省から天下りできていた信金トップにこう迫った。
「お客さんに安心して住宅を買ってもらうには、最初から最後まで同じ額を返済する住宅ローンが必要です。しかし、当時は元利均等償還の仕組みがなかった。そこでトップと、『大蔵省にかけ合って、小松信金で全国に先駆けて長期住宅ローン商品をつくってほしい。そうしたら合併にイエスと言う』と交渉した」
この交渉が実を結び、デベロッパーとして独立。顧客は頭金10万円で住宅を買い、信金は住宅ローンで利益を得て、元谷の会社も成長するという関係者全員が恩恵を得るスキームをつくり上げた。この経験が、元谷の経営スタイルのベースになった。
「事業は片方だけがもうかると長続きしない。相手に利益を与えながら自分も利益を得て、はじめて長く継続できるんです」
ホテル業に進出後に急成長したのも、顧客が得をする会員システムを開発したからだ。アパ会員は、一定のポイントがたまると現金でキャッシュバックを受けられる。会社の経費で泊まってお小遣いが得られる仕組みが出張族から支持され、現在は会員数が累計1900万人を超えた。
目指すは“寡占化一番乗り”だ。
「資本主義の歴史をみると、どんな商売も、百花繚乱(りょうらん)期から寡占化、そして独占化という発展をたどっている。いま日本のホテルは百花繚乱期で、シェア10%に届いている会社はありません。いま他社が展開を控えているので、うちにとっては拡大のチャンスだ。シェア20%まで、早くもっていきたいね」
表情には余裕があって柔らかいが、眼光は鋭い。そこには、逆張りであろうと順張りであろうと、つねに張り続ける勝負師の顔があった。
もとや・としお◎石川県生まれ。高校卒業後、小松信用金庫(現・はくさん信用金庫)に入社。1971年、信金開発(現・アパグループ)を設立し、注文住宅事業を開始。77年に分譲マンション事業、84年にホテル事業に参入。現在は18社で構成するグループの代表を務める。