竹崎:松田さんはニューヨーク支局と日本の両方の勤務を経験されていますが、海外と比較して、日本のメディアの特徴や傾向はどういうところにあると感じていますか。
松田:加藤さんがおっしゃったように、まさにメディアリテラシーの部分が海外と日本では大きく違うと感じます。それは教育も大きく関わっていて、現地の子供たちは小学生の時から学校でディスカッションを行っているんです。
私の子供は現地の小学校に通いましたが、先生から教育方針について「グループの中での問題解決能力に重きをおいている」と言われ、議論することが教育の土台にあることに、頭を金槌で殴られたような衝撃がありました。
アメリカのメディアには、情報をとことん出し、いろんな視点からの意見を取り入るスペースがあるように感じます。
加藤:私は看護が専門なので、メディアリテラシーと同時にヘルスリテラシーにも焦点があたるのですが、どうしても高齢者や子供、健康に対する知識が十分でない人が、情報を正しく収集・解釈して意思決定するうえで、「必要な情報をとる」という部分は難しいと感じています。医療従事者側の立場から考えると、メディアには、そういう方々が適切な行動をとるための助けになってほしいという希望をもっています。
松田:そのためには、日本もアメリカのように専門記者を増やしていく必要性を感じます。民放のテレビ局は新聞社に比べると体力も記者の数で劣るので、その中で専門性のある人をどれだけ育てていけるかが課題です。ずっと厚生労働省に張り付くだけでは意味がない。感染症の専門医や患者さん、子供たちなど幅広い情報源とコミュニケーションをとれる人がベストなわけで、そうした現場取材の中から専門性を磨いていくことが大事です。
竹崎:アメリカとの比較で言うと、記者の専門性の違いというのはどういう背景から生じてくるのでしょうか。
松田:日本の記者クラブ制度は、ひとつの要因かもしれませんね。記者クラブに入っていると記者会見に参加できるので、そこで資料や情報が与えられます。一方、アメリカは調査報道が基本で、自分たちが取材したものをファクトに基づいて出すという側面が大きいので、個人で情報をとってくる分、誤報を出さないための目利きや事実の見極め方、経験が必要になり、それが専門性に繋がっているのだと思います。
竹崎:記者会見だけだと、どうしても主催者側の意向に影響されて限界が出てくるところもありそうですね。
当事者として考える習慣を持つ
竹崎:最後に、これから私たちは何に気をつけて、どういう行動をとっていくことが求められるのでしょうか。
松田:コロナ感染者がで始めた去年2月頃、スタッフが取材中、たまたま取材相手に保健所から電話があり、この方が陽性だとわかった場面に遭遇しました。つまり、スタッフは感染者と“接触した”ことになったわけですが、当時はこのあとどう対処すべきか明確なルールがありませんでした。そのため、我々がスタッフにどのような指示をし、実際に動いてみて何がわかったかなどを、ひとつのケーススタディとして放送で伝えたことがあります。
その時に、改めて経験・知見を共有する重要性を感じました。今ではツイッターなどでも著名人の方が顔と名前を出して情報発信するようになり、個々の当事者意識は高まっていると感じています。他人事ではなく、感染した場合の対処の仕方をみんなで共有していき、感染拡大させないように過去の事例から学習していくことが重要だと思います。