森会長発言を見過ごせない3つの理由

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昔から日本は、欧米と比べたときに、人権や民主主義の意識が薄い国だと言われてきた。終戦を機に、米国主導でそれまでの軍国主義から民主主義に大転換を遂げたため、市民の1人1人が民主主義の価値を考える機会があまりなかった。

また、日本なりの事情もあった。例えば、国際社会では過去、日本で一般的だった終身雇用制度や労使一体になったいわゆる「御用組合」を批判する声があった。職業選択の自由や労働者の権利などの視点からみて、問題があるというわけだ。でも、いずれも日本型の安定した雇用環境を生み出す役割を果たしたとも言える。欧米では日本の死刑制度を批判する声もあるが、被害者の加害者に対する加罰感情への配慮や似通った犯罪の再発防止効果を唱える人も多い。

ただ、こうしたことが負い目になって、日本が欧米諸国のように人権や民主主義を声高に唱えにくい「足かせ」のようにもなってきた。政府関係者の1人は「米議会乱入事件やミャンマーの事件が起きたとき、欧米からの『お前が言うか』という視線をつい意識してしまう」と語る。

これは、トランプ政権での米政府の人々にも当てはまった。米政府関係者はトランプ政権当時、「中東や南米で仕事がやりにくくなった」とぼやいていた。「中東や南米諸国の政府関係者に、人権や民主主義を説くと、『トランプのヒスパニックや黒人への対応は何だ、米国なんかに言われたくない』と逆襲されると同僚がこぼしていた」と語る。

また、日本人にとって人権や民主主義の問題は、どことなく「人ごと」の問題でもあった。日本人にしてみれば「米議会も大変だ」「ミャンマーや北朝鮮の人たちが気の毒だ」と思っても、身近な問題として捉えきれない。日本政府の緩い対応を追及する声もあまり上がらない。こんな状態が続くと、欧米から「やっぱり、日本人は人権や民主主義に関心がない」と重ねての誤解を受ける悪循環に陥ってしまう。

ところが今回の森舌禍事件は、非常にわかりやすい。女性の権利という問題に加え、日本人の反発を食らう様々な要素が含まれているからだ。

新型コロナウイルスの感染拡大で、人々は不自由な暮らしを強いられている。「五輪なんてできるわけないだろ」と大半の人が思っているなかで、何があっても開催を唱えているようにみえる森氏の論法は、世間の認識とずれている。

また、政治家の夜の会食問題から、市井の人々と「上級国民」のような政治家との距離が開く一方で、市民の間にはマグマがたまっている。

さらに、「こんな意識の低い人が私たちの代表だなんて、海外に恥ずかしくて顔向けできない」という感情も働く。これで怒らない人など、どこにもいないだろう。

せっかくの機会だ。森氏だけではなく、政府・与党の偉い人たちにも、もっと砲火を浴びせて、人権や民主主義の問題になると、すぐに「注視する」という表現に逃げ込む政府の習慣をなくすきっかけになればいいなと思う。

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文=牧野愛博

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