自分の根底にあるのは、臆病で不器用ということです。世渡りも上手じゃないんです。世間になかなか相手にされない期間も長かったのですよ。“主流”に入れない自分がいました。こういう術を使えば“そっち”に行けるかもしれないというのもありましたが、その手は使いたくなかった。結果的にそういうスタンスでやり続けられたからこそ、今があるのかもしれません。
主流に入れたとわかった瞬間があったわけではないですが、気がついたら、ベルナール・パコーと「ランブロワジー」(パリの伝説的三ツ星レストラン)をやっていて、それが世間的にも評価を受けて、やっと「ああこれでいいんだなぁ」と思えました。
そこで改めて、自分は自分らしいやり方でやっていこうと。それまでいろいろ疑問に思ったり、こうすればこうできるのにと思っていたことが全部ここで氷解しました。自分たちのお店でそれを実践してみて、これは通用するなと感じられたのです。
スペシャリテの「赤ピーマンのムース」
冷や汗かきながらの35年
パリから帰国後、料理長としてコート・ドールに迎えてくださったオーナーの存在も大きかったです。その方の恩に報いたいという気持ちが、ずっとあります。
1991、2年頃、自分で小さい店でもやってみたいと思い、オーナーに相談したんです。ちょうど同世代の人たちが独立しはじめた時期でもありました。すると、「別の店でやるのではなく、ここでやればいいんじゃないですか」と。ありがたいことに、岐路に立つ時に助けてくれる人たちがいてくださっています。
家族もチームみたいなもので、その存在があって今日までやってこれた気がします。結婚したのは、パリ時代、31歳のとき。ドライバーが2人になったので、片方が睡眠をとっている間に片方が運転するような感じで、なりふり構わずやってきたのが現実ですね。
淡々に見えるところもありますが、冷や汗かきながらの35年でした。学生時代からデートでいらしていたお客さまも、結婚して子供ができて。2世代に留まらず、今は3世代きてくださっている方もいらっしゃいます。
個人経営なので、大企業のように華やかなことはなく、目立たずに、日々食い扶持を稼いで、明日に繋がってきたお店です。コロナ禍で大変な中でも、なんとかお客さまが来てくださって、その限りはやめようとは思いませんでした。