「コート・ドール」斉須政雄シェフ 35年の進化とその土台となった友情

フレンチ「コート・ドール」斉須政雄シェフ


──「完璧主義」という印象とは違うものの、圧倒的な完成度のアウトプットを続けている斉須さんですが、失敗の経験があれば教えてください。

随分前ですが、レストランで開いた結婚披露宴で出した料理が思い通りにならなかったことがありました。でも、そのお客さまも今日も来てくださいました。ありがたいですよね。

振り返れば、若く健康であるがゆえに、自分は野蛮だったと思います。チームに対しても、社会に対しても、いろいろなものを振り回していました。

でも、やり続けるにつれて、いろいろなことを知るにつれて、少しずつ弱くなっていく自分を知りました。物事を知ることって、一般的には強くなることでもあるんでしょうけど、同時に、いかに自分が知らないかを知ることでもあるんですよね。「知らないことを知ること」が、知ることの本質なのかもしれません。知ることは、両刃の剣なのです。

今の自分の立ち位置は、“悟りの境地”といったものではないです。自分の思惑と世の動きが、かなり乖離しているポジションでずっと生きています。だからといって、どうやったら時代に乗っていけるかと言われても、わからないのが実情です。

そんな中、チームプレイ、人間関係といったものはすごく大事にしていました。発注先も、家族も、チームメイトでもお客様との関係も大切にしています。



──著書で、パリの三ツ星「ヴィヴァロワ」のオーナーシェフ、クロード・ペイロー氏の下で働いたことで、「権威のある料理人よりも、透明人間みたいになりたい」と感じたと書かれていますね。それはどんな経験だったのでしょう?

ヴィヴァロワはフランスでの三店目の修行先で、家族的な職場でした。自分はこういう人になりたいと思った人に出会うことができ、そこで体験させてもらったことが自分の原点にもなっています。

23歳で最初にフランスで就いた職場は、2年間くらいは謳歌できなかったんですよね。馬鹿にされないように、差別されないように、なんとか登用してもらえるように……と思いながら、もうカサカサで生きてた自分がたどり着いたのが「ヴィヴァロワ」でした。

オアシスの泉に浸かったような安心感があり、自分はこういうところで生きたいんだなと思った。そこを目指してやってきたのが、今日までの道のりと言えると思います。
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文・写真=山本憲資

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