民主主義の先頭に立って戦後の世界をリードしてきたはずのアメリカでこんな事件が! と誰もが驚くような出来事だった。
トランプ政権はマクルーハン的?
テロ事件と非難する声が上がり弾劾決議が出される一方で、アラブ世界ではこれを「アメリカの春」と呼んで、10年前に起きた中東の民主化運動「アラブの春」と同じ話がアメリカでも起きたと皮肉り、中国外務省はチャンスとばかり、「なぜ似たような抗議を行う者が米国では暴徒となり、香港では民主主義の英雄となるのか」と、他国を笑えた義理かとばかり反撃を加えた。
トランプ時代になってからのアメリカは、テクノロジーで世界を牽引する最先端の国というより、SNSに暴言やフェイクニュースが溢れ、魔女狩りや異端審問が復活したような混沌とした中世の世界に逆戻りし、途上国で起きるテロのような混乱が増えたように感じる。一体どうしてしまったというのだろう?
この混乱を見ているうちに、大統領選を仕切った功績でトランプ政権の首席戦略官を務めていたスティーブ・バノンの事を思い出した。海軍将校から投資銀行家となりハリウッド映画のプロデューサーも務め、アリゾナの砂漠で人間を閉鎖した人工的な地球環境を作り実験する「バイオスフィア2」にも関係していたという謎の多い人物だが、2018年1月に政権の内幕を暴露したことで解任され、その直後に「トランプ政権こそ初のマクルーハン的政権」と自信たっぷりにニューヨーク・タイムズに語っていた。
彼の言う「マクルーハン的」という表現の意味は明確ではないが、マクルーハンが論じたように、グーテンベルクの活版印刷によって文字と論理を中心に形作られた近代が、電子メディアによって世界中が一つの村社会(グローバルビレッジ)のようになり、あたかも前近代に先祖返りしたように付和雷同している様子が、トランプのツイッターのつぶやきで世界が振り回されているイメージにそっくりだ、とでも言いたかったのだろうか。
そのマクルーハンは1977年に、現在のこうした状況を予言するかのように、「フロンティアで生きる者はアイデンティティーを失い、誰でもなくなってタフに生きなくてはならなくなる。誰かであることを示さなくてはならなくなり、非常に暴力的になる。人はアイデンティティーを失うと暴力に訴えるのだ」とも言っている。
アメリカのかつてのフロンティアと言えば西部。西部劇を想い起せば、常にガンマンがどこかでいざこざを起こし、銃で撃ちあっているイメージが湧いてくる。どこの誰だか知らないよそ者が町にやってくれば、にらまれてのけ者にされ、あげくの果てが決闘というストーリーが容易に思い浮かぶ。それと同じような話が、アメリカの首都の議事堂で現在も堂々と行われていると考えるなら、それはトランプ辞任後にアイデンティティーを失ってしまう支持者たちの悲痛な叫びだったのかもしれないとさえ思える。