アイデンティティーを失ったネット時代の叫び

スティーブ・バノン(Photo by Stephanie Keith/Getty Images)


ネット時代のアイデンティティー


インターネットが一般化し始めた1990年代に、グレイトフル・デッドの作詞家でワイオミングの牧場に住みカウボーイを自称するジョン・ペリー・バーロウは、コンピューターやネットの世界は「新しい時代のワイルドな西部のようなフロンティアだ」と主張して電子フロンティア財団(EFF)を設立し、その後のダボス会議では、ネット世界は政府に勝手な規制は受けないと「サイバースペース独立宣言」を出していた。


ジョン・ペリー・バーロウ(Photo by Jesse Knish/Getty Images for SXSW)

IDという名前しか持たない人々がアクセスするインターネットは、当初は顔見知りの研究者の集まった小さなコミュニティーだったが、一般人が参入しビジネスにも利用できるようになり、さらにはソーシャルメディアの発達で誰もが気軽に発信者となって自由に情報交換をし始めると、次第に現実社会と同じ問題が起き始めた。

自己紹介や顔写真はあったとしても、本当は誰かわからないアカウントが増え、匿名で誹謗中傷する声で炎上が起こり、正体のわからないハッカーと呼ばれる誰かが秘密情報を暴いたり詐欺を働いたりする。電話やネットのできる前の、人が直接顔を合わせて時間をかけてお互いの素性を確かめ合っていた古き良き時代は終わり、今では正体のわからない記号のようなIDの集合データーが世界中を瞬時に飛び交う。

こうした時代には、ネットの中では誰もがそれまでのアイデンティティーを失い、新しい自分のプレゼンスを示さなくてはならなくなる。逆に現実社会のアイデンティティーを離れ、自分で自由に決めた複数の顔を獲得して、多重人格者のように振る舞うことも可能になり、こうした新世界に救いを求める人もでてきた。

国や民族、宗教や言語、生まれや学歴などで分類され、階層化され、差別や区別の指標になる現実世界のアイデンティティーは、自ずと選べる範囲が限られていたが、LGBTなど多様性が当たり前になる時代には、もっと新しいアイデンティティーの扱いが重要になってくる。流行りのVTuberなどで、可愛いアイドルを演じているオヤジが跋扈する時代だ。そこには無限のバーチャル人生の可能性さえ見えてくる。

しかしこうしたアイデンティティーを確立する前に、誰からも認められず、名前も呼ばれず、いじめに遭い社会の階層からはじかれ消えていく人もいれば、ネットの中でクレイマーになって炎上を繰り返す人もいる。これまでの工業社会の単純に所属組織や役職といったラベルで決められていたアイデンティティーだけでなく、その人の趣味や人生観で理解できる指標も必要になる。

マクルーハンはまた「電子メディアを介することによって個人の意味がなくなることで、確実にアイデンティティーを奪われた者に関係する相互の暴力が起きる。というのも暴力は精神的であろうが肉体的であろうが、アイデンティティーや意味を求めることだからだ」とも言っている。彼の言う電子メディアは主にテレビの事だったが、ネットではさらに大規模に世界中の誰もがこの問題に直面することになる。

暴力を超えたアイデンティティーの獲得とは


人が暴力的になるのがアイデンティティー喪失のせいだとしても、暴力やテロが許されるわけでもなく、それによって多くの人々が傷つき、何ら良い結果が生まれるということもないのだが、ただ暴力を感情的に恐れたり断罪したりするだけでは、憎しみの連鎖を断ち切ることはできない。人間がなぜ暴力をふるうのか? という根本的な構造を冷静に理解して対処していかなくてはならないだろう。
次ページ > 暴力をいかにして超えていくか

文=服部 桂

ForbesBrandVoice

人気記事