傷つくことは当たり前──浅田次郎流 人生を前に進める方法

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『鉄道員(ぽっぽや)』『蒼穹の昴』『壬生義士伝』など、名作を次々と世に送り出してきた直木賞作家、浅田次郎さん。読んでいて思わず涙してしまった小説も少なくなく、こんな物語を書く作家はどんな人なのだろうと、本当に取材を楽しみにしていた1人でした。

小説を書いて生きていく──浅田さんは、子どもの頃からそう決めていたそうです。とにかく小説が好き。読むのも、書くのも。ところが意外なことに、作家デビューは40歳のときでした。高校卒業後、自衛隊に入隊。アパレル営業、さらには自営業として独立も経験しています。「しかし、だから苦労したわけではない」と浅田さんは語ります。

好きだからこそ、書き続けている


「僕はいちばん好きなことを好きなようにやってきたんです。ところが、自分で言ってもいないことが独り歩きするようになりましてね。職を転々としたとか、1日2、3時間しか眠らずに投稿のための作品を書いていたとか。メディアは苦心惨憺な末に、ようやく作家になったという英雄像をつくりたかったのかもしれない」

それは事実ではありませんでした。浅田さんはこう言います。

「高校時代、僕は三島由紀夫や川端康成の小説を書き写していたけど、それも作家になるための“修業”にされてしまった。違う。僕はただ単に楽しくて書き写していたんです。読むと面白い小説が、書き写してみるともっと面白かった。文章の細かなところがわかって、発見の連続だった」

ところが、努力を重ねていまがあるといったような書かれ方をされてしまったというのです。「休みなしで努力せよ」というコメントが、独り歩きしたこともあったそうです。

「とんでもない。そんな毎日を送って成功しても、人生つまらないし、人間としてもつまらない。むしろ逆に、僕は、人間はたくさん遊ぶべきだと思っているんだから」

そもそも、メディアが書きたがるような苦心惨憺で世に出た人など、実はいないのではないかとも言っていました。

「苦しい苦しいばっかりでは、長く続くわけがないもの、人間は。好きだからこそ、楽しいからこそ、長くやっていけるんです。僕だって、小説が本当に好きだったからこそ、デビュー前に40歳まで書き続けることができたし、いまも書き続けている」

書くことが好きでたまらない気持ちが強くて、それがずっと継続したから、仕事である程度生活が安定しても、浅田さんは書くことをやめませんでした。

「だから、仕事をどう選ぶべきかと問われたら、やはり好きなことをしたほうがいいと答えますね。向き不向きなんて考えないほうがいい。そんなのわかりっこないもの」

ただし、世の中では必ずしも好きなことを、仕事にできるわけではありません。

「だから心がけてほしいのは、選んだ仕事を好きになってみることです。好きになれそうな仕事を選び、自分から好きになってみる。いまやっていることを好きになれない人は、案外、何をやっても好きになれないのではないかと僕は思う。

人間、思い込みで生きているところが大きいから。だったら、好きだと思い込めばいい。思い込みは、人生を有意義に過ごすために、うまく使えるものなんですよ」

若いときは、どうしても自分の能力を過信してしまうもので、世の中を甘く見てしまう。結果的に計画通りにいかず、苦しい状況を迎えてしまう。

「だから、計画を立てるときは、何より最悪の場合を考えて立てる必要があるということです。その意味では、旅に似ているかもしれない」
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文=上阪 徹

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