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開催を危ぶむ声が高まる東京オリンピック・パラリンピック。1月下旬には国際オリンピック委員会(IOC)による会合が立て続けに開かれ、改めて中止や再延期の可能性を否定し、開催に向けたメッセージも発信されているが、まだ腰が据わった議論や検討の成果がなかなか伝わってこない。

開催か、中止か──。

どのような決断が下されるにしても、一つでも多くの何かを遺すため、あえて開催の是非自体を直接的に問うのではなく、「開催ならば、どんな東京オリ・パラにするべきか」をともに考えることにした。

長くスポーツの最前線で主体性と客観性を持った批評を続ける、作家・スポーツライターの小林信也氏に訊いた。


東京五輪「中止」を断定するのは早すぎる


東京五輪の開催に反対する声が高まっています。1月のNHKの世論調査によれば80パーセント近い人たちが「再延期か中止を望んでいる」と報道されています。

もちろん、新型コロナウイルス感染の不安はありますから、感情的には理解できます。しかし、「すぐに中止を決めるべきだ」との論調は、あまりに短絡的ではないでしょうか。なぜなら、いま中止を「決めなければいけない理由」は、感情的な理由以外にはあまりないと思われるからです。

すでに実施に向けて準備が進められています。準備せず、急に開催するのは無理ですが、準備しているものを中止するのは、それに比べれば遥かに容易です。金額的な無駄や損失、様々な徒労は発生しますが、いますぐ中止する場合と、もう少し先に判断する場合でそれほど深刻な差があるとは思えません。「早く中止しろ」「こんな状況でまだやる気か」といった主張は、だから感情論と指摘されても仕方がないと思うのです。

今夏の東京五輪出場者を決める各競技の予選大会は6月29日まで開催できる規定になっています。そして、各国オリンピック委員会からの最終登録期限は7月5日です。つまり、まだ余裕があるのです。

ホテルや航空券のキャンセル、ボランティアや警備など様々な人の動きを早く決めた方が中止への対応が少しでも円滑だという理由はあるでしょう。しかしそれはあくまで「中止ありき」の論理であって、「実施が前提」である現状では無理のある主張です。

ではなぜ国民の多くが、「中止ありきの気持ち」になっているのでしょう?

文=小林信也 編集=宇藤智子

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