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そしてその後のオリンピックを特徴付けることになる聖火リレーが生まれた。古代オリンピックでは4年に一度、戦争を止めてオリンピアに集まり競技会を開いた。その開催を告げる使者がオリーブの枝を持って各都市を回った。その故事をディーム博士はリレーにデフォルメしたのだ。そしてオリーブの枝はトーチに変貌する。

古代ギリシアで聖なるものであった火。神殿の前では絶えず火がともされていた。オリンピアでも炉の女神ヘスティアやゼウスの祭壇に火があった。ディーム博士は、その炎を純潔なる火とするために放物面反射鏡のような器具を使って巫女が太陽光から採火する方法を考えた。聖火の誕生である。

その聖火をオリンピックが開催されている場所まで運ぶリレーは、まさに休戦を伝える使者である。「武器を捨ててオリンピアに集まろう!」ナチズムの対極にある思想が表現された。


Photo by Tokyo 2020 / Kyodo News

そのベルリン五輪の後、第二次世界大戦により、第12回、第13回のオリンピック競技大会が中止となる。第14回競技大会が1948年ロンドンで開催されることになった時、聖火リレーを続けるかどうかの大議論がIOC内で起こった。結果、ヒトラーのイメージに惑わされずディーム博士の思いを繋げることを選んだ。

聖火リレーは平和のメッセージを伝える行事として継承されることになった。そのメッセージは1940年の第12回大会を軍国主義により返上した日本が敗戦の後、復興の証となる1964年の第18回大会にも繋がっている。

1964年東京オリンピックの組織委員会会長を務めた安川第五郎氏は文字通り「聖火」という著作で聖火リレーの偉大さを切々と語っている。組織委のゴタゴタから請われて会長に就任した実業家の安川氏にとってスポーツは専門外。ましてやオリンピックのことなど全くわからなかったらしい。聖火についても、わざわざギリシアまで行って火を持ってこなくてもいいではないか、マッチでつければ済むではないかと最初は考えていたそうである。

ところがいざギリシアに赴きオリンピアの旧蹟での採火式に参列し、その火を受け取った瞬間から考えを改める。そして、その火がトルコ、インド、東南アジア諸国などの12の都市を歴訪して沖縄に到着するまで、各地で若者によって繋がれていき、夜通しで聖火祭を行い、青年たちが日の丸を振りかざして、日本との親善をはかる光景を見て、「聖火が実に偉大なものである」と痛感する。

「少なくとも歴訪した東南アジアの国と日本との親善にこの聖火を通じてどれだけ貢献したか、…」と記している。

聖火リレーの節目も1984年ロス五輪 走る権利を解放し「民主化」


聖火リレーランナーは組織委員会が選ぶものであった。その構造を「民主化」したのは1984年のロサンゼルス五輪と言える。民間資金だけの運営で約500億円の黒字を出した大会である。聖火リレーも収入の手段にした。ランナーの権利を1キロ3000ドルで販売した。これによってランナーになる権利が開放された。走ってもらいたい人のために寄付を募るグループや個人もいた。

資金集めの成功だけでなく、オリンピックと人々を繋げる方策としての効果が認められ、その後ランナーの公募が定番となる。一方で一般参加者から参加費を取ることは控えられ、その代わりスポンサーシップによって運営費を賄うようになる。スポンサーは聖火リレーが自社宣伝の機会になるので、コンボイカーのパフォーマンスなど積極的に演出にも関わるようになる。

寄付の額ではなく行動によって聖火ランナーを選んだのが、2012年ロンドン第30回大会である。いかに社会に貢献したかによって選ぶことで、人々をやる気にさせるというロンドン大会の哲学を実践したものだ。

果たして東京オリンピック2020の哲学はいかに?

文=春日良一 編集=宇藤智子

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