インバウンドなき東京五輪、経済学者はどう見ている? #東京オリパラ開催なら

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中島:ビジネスとしてだけ見れば、「見世物の市場価値」というのがあります。見せ方の工夫も大切なのです。かつては地味だと言われた卓球も、このところ見せ方が上手くなって人気が高まってきました。見せるスポーツに生まれ変わったと思います。

小林:卓球は元々、根強いファンがいました。プレーした経験のある人が実はかなりいるという構造が見るスポーツの基盤になっている。これが例えばフェンシングだったらどうでしょう? 見せ方の工夫はずいぶんしていますが、実際にやったことがないから、選手たちの内面がわからない。攻防の深み、難しさが実感としてわからなければ、競技の魅力は伝わりにくいでしょう。

中島:「スポーツとは何か?」という問いかけも必要でしょうね。

小林:1984年のロサンゼルス五輪をきっかけに、スポーツ界はどんどんプロ化しました。それまでプロとして生活できるのは日本なら野球や相撲、ボクシングなど、ごく一部のスポーツでした。サッカーでさえ、プロではありませんでした。

ところが、「メシの食えない競技ではダメだ」といった意識が高まり、すべての競技がプロを目指すようになりました。これ、私はおかしいと感じています。プロとして成立しない競技がプロである必要はない。きちんと仕事を持ち、併せてスポーツに打ち込む生き方は素晴らしいし、その方が相応しい競技の方が多いように思います。

中島:そうですね。スポーツが一般的な社会と乖離している。これ実は、パラリンピックを見るといっそう明らかなのです。私は『障害者の経済学』という本も書いているので詳しいのですが、オリンピック以上に乖離が激しい。多くの障害者の方が、パラリンピックに関心がないのです。

なぜなら、パラリンピックに出られるのは中途障害といって中程度の障害の方が大半です。いま最も多いといわれる精神障害の方たちは対象になっていない。しかもいまやパラリンピックは、選手の競技力の争い以上に「道具の競争」になっている。

小林:ここ数年、パラリンピアンのインタビューを見たり読んだりする機会がすごく増えました。パラリンピアンはオリンピアン以上にプロ志向が強くて、競技にかける思いが強いように感じます。私は「人生におけるスポーツの程よいバランス」が大事だと感じているので、パラリンピック、オリンピックいずれも、スポーツだけでないアスリートたちの関心や経験を高める発想も必要だと思います。


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構成=小林信也 編集=宇藤智子

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