我々は自立した存在ではない 「百匹目の猿」から学ぶ現象の捉え方

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まず、「最初の猿が浜辺で芋の泥を落として食べた」という行動について考えてみると、「本来海の近くにあるはずのない芋が、なぜ猿の元に辿り着いたのか」という問いが浮かぶ。すると、「きっと台風のような災害があって、たまたま芋が浜辺に漂流したのではないか」と仮定ができる。そうであれば、同じ気象現象によって、距離の離れた違う島にも芋が流れ着いていたことも、そこにいる猿が同じような行動をしたことも、決して不思議ではないはずだ。

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また、最初の島で百匹の猿が行動を真似したタイミングで、違う島の猿たちが同じ行動を取り始めた点もポイントだ。芋の食べ方が最初の猿から百匹の猿に伝わるまでには一定の時間がかかる。つまり、気象現象が最初の島で起こってから離れた違う島でも起こり、そこで同じように芋を洗う猿が現れるまでの間に、最初の島で百匹の猿が芋を洗って食べることを覚えていたということだ。

それぞれの島に同じ成熟度を持った猿がたくさんいたという点も、この現象を引き起こした要因の1つと考えられる。猿たちが同じ成熟度を持つことができる環境がそれぞれの島にあったのだろう。

この話から、私たちは、本来すべき物事や現象の捉え方を学ぶことができる。ある現象が「突然」起きたように見えるとき、それを独立した1つの出来事として捉えてしまうと、実態がなかなか見えてこない。しかし、一見不可解に思える出来事の背景や因果関係を1つずつ考えていけば、割と簡単に謎は解けてしまうということだ。

アポロ11号は本当に月に行ったのか


あのハイデガーも、あらゆる存在は、周囲の他の存在との関係性の上に成り立っていると主張している。言い換えれば、すべての物事や現象は「単体で自立して」存在することは決してなく、周囲の環境や時間の変化との複雑な「関連性」の中にあるということだ。

周囲を取り巻く状況や、過去に起こった出来事、そして次にやってくる未来の事象──。そうした流れを無視して、あるものの存在を自立したものとして捉えてはいけない。そうハイデガーは言う。

しかし、私たちは果たして、現実にある物事や現状をこのように捉えられているだろうか? 現代人の多くは、ある現象が起こったときに、その背景にある関連性を考えることなく、すぐに答えを出してしまっている気がしてならない。

SNSなどに流れる陰謀論やフェイクニュースをそのまま信じてしまう原因もここにあるだろう。目の前に強烈な情報を提示されると、その周囲にある事実や背景、根拠を考える過程をすっ飛ばして、すぐに信じてしまう危険性がある。

その好例として、「アポロ計画陰謀論」の話をしたい。1969年にNASA(米航空宇宙局)が配信した写真に疑問を抱き、アポロ11号が本当は月へ行っていなかったと信じる人たちがいる。

確かに写真には一見すると不可解な点が多い。宇宙で撮影したにもかかわらず他の星が全く写っていない、着陸船の周りには着陸時の噴射でできるはずのクレーター跡が見当たらない、風が吹かない真空空間で星条旗が揺らめいている……などだ。こうした事実を指摘した陰謀論を、当時多くの人が信じてしまった。

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しかし、これらもひとつずつ科学的に解明していけば、月面でも十分に起こり得る現象だ。星が全く写っていないのは、明るすぎる月面でカメラの露出を被写体に合わせると背景の暗い星は写るはずがないから。クレーター跡がないのは、月の表面は非常に硬く、着陸時に逆噴射をしても細かい粒子の砂が舞い上がるだけだから。真空状態で星条旗が揺らめくのは、月面に立てられたときの動きが慣性の法則によって持続しているから、といった具合だ。
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文=大竹初奈 編集=松崎美和子

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