日本で「エシカル消費」が進まない3つの理由

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人は暮らしていくために、何かしらの「商品」を買っている。食料はもちろんだが、日用品や衣類にとどまらず、電気やガスといったエネルギー、暮らしを支えるためのサービスなど多岐にわたる。もはや買わなければ暮らせない、といっても言い過ぎではなさそうだ。

近年、「エシカル(倫理的)消費」という概念が急速に広まっており、商品を購入するときに「人や社会、環境に配慮されているか」を重視して商品を選ぶという行為は、これからどんどん広がるようにも思える。すでに高校の家庭科の教科書には「エシカル消費」という言葉が掲載されていることから、特に若い世代での認知が広がりそうだ。

そして2021年に開催予定の東京オリンピックの物品調達方針には、国際フェアトレード認証や、レインフォレスト・アライアンス認証(その製品または原料が、持続可能性の社会・経済・環境という3の柱の強化につながる手法を用いて生産されたもの)が推奨されるなど、人や社会、環境に配慮されているかどうかは、企業戦略としても重要なポイントになっている。

しかし日本で今、「エシカル消費」は本当に進んでいるのだろうか。エコロジーよりもエコノミーが優先されてはいないだろうか。「人や社会、環境に配慮されているか」を気にするようになった一方で、買い物カゴに入れる実際の商品はまた別のものなのではないだろうか。エシカル消費が進んでいないとしたら、その理由は、以下の3つにあるように思う。

理由1:政治や政策への無関心


私は日本でエシカル消費が進んでいない理由の1つが、政治や環境政策への無関心にあるのではないかと思っている。アメリカのアル・ゴア元副大統領が、著書『不都合な真実』を出版したのは2007年だったが、そのとき私は、環境問題がまるで告発されるかのように元政治家から出版されたことに不自然な印象をもった。これは環境というものが、政治の話だからなのではないだろうか。

CO2排出権の取引や、炭素税などについて、ニュースで聞いたり、読んだりする人は多いだろうが、果たしてそれを自分の言葉で説明できる人はどれくらいいるだろう。無関心というと言い過ぎかもしれないが、社会は、世界はどこへ向かおうとしているのか。その問題はどうも自分から遠い話のように感じる人がまだまだ多く、実際の暮らしのなかの問題としてとらえられていないのではないかと思うのだ。
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文=増村 江利子

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