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五輪憲章では、スポーツの「自律」を重んじている。政治がオリンピズムに侵攻することを防ぐためである。それが国と国の対立を越えた世界をつくる基礎となるからだ。組織委員会の理事会には、公的機関の代表者や指導的地位の人物を含むことができるとして、許容範囲があるものの、国内オリンピック委員会(NOC)には、政府またはその他の公共機関は、いかなるNOCの委員も指名する事はできないと厳しく規定している。さらに重要なのは政治的中立性である。これはバッハIOC会長が付け加えた肝煎の規定とも言える。

にもかかわらず、今回の会長人事の舞台裏を論じる政治評論も世論もこの視点が全く欠けている。橋本聖子新体制が政府筋では既定路線であったことも堂々と語られる。東京五輪の政治性を明るみに出すのは理解できるが、政治がスポーツの人事に介入することの罪悪感を捨象しているのは問題である。政府の意図通りに組織委のトップが決まったということはオリンピズムへの冒涜に等しい。

しかし、実際の舞台裏には、スポーツ側の反駁があったはずだ。政府の意図は事務局の準備した資料にはあったかもしれないが、選ばれた検討委員会の委員たちはアスリートの立場でそれぞれの考えを述べたはずである。そして絞られた三名は山下泰裕、小谷実可子、そして橋本聖子だった。

山下JOC会長は五輪開催国のNOCとしての立場から、小谷組織委スポーツディレクターはその役職の立場から、会長職就任を断ることができた。残されたのは橋本五輪担当大臣となる。橋本聖子がスポーツの場に政治から戻ってくる道しかなかった。それがたとえ政権が望んだ結果と同じだとしても、外部圧力から守られた候補者検討委員会が公平に選んだ結果である。

組織委は決定の経緯についてIOCが注視していることを心すべきであり、我々もスポーツの政治からの「自律」に心を馳せるべきである。


Photo by Carl Court/Getty Images

森氏の女性蔑視発言から新会長誕生までの一連の動きの中で、二つのことが巷間の良識となった。一つは東京オリンピック・パラリンピックには理念があることである。

IOCは25年の歳月をかけて取り組んできた男女平等政策があり、東京五輪がその政策実現の大会になるほどの大会であったことが、森発言によって世間の知るところとなった。それまでオリンピックが頂点を決める世界総合スポーツ大会としか見ていなかった日本の人々に、五輪には理念があるということが明確に意識された。

二つ目は組織委員会の存在がクローズアップされ、五輪を準備運営する実働部隊があることが意識されたことである。日本オリンピック委員会、東京都、さらに政府との五輪を取り巻く関係性もやっと学習でき、その頂点に立つ会長の重責が認知された。

これによって東京オリンピック・パラリンピックを開催する意義についての広角が拡大した。それは本誌で先に論じた「命と引き換えにするほどの価値があるのか議論すべき時」の論議に資するものとなるであろう。

文=春日良一 編集=宇藤智子

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