私は、先生の言葉がすぐには理解できなくて。一瞬、「???」となりました。
「先生、この子は友だちもできないし、勉強だって……授業もまともに受けられないからきっとダメだし。たぶん、この先、生きていく価値もないと思うんですけど」>(本書より)
長男の診断が確定したからといって、彼女の絶望感は少しも癒えていなかった。
「友達なんていなくたっていい」という主治医の言葉
<来る日も来る日も、大夢の将来を悲観し、それでも目の前で繰り返される問題行動に手を焼き続け、怒鳴り散らし、不安とイライラで気持ちはいっぱいいっぱいでした。ひとりになると、知らず知らずのうちに涙が溢れてきました。>(本書より)
Getty Images
だから、菊地さんはつい、大夢くんのことを「この先、生きていく価値もない」などと口走ったのだ。食い下がる母親に、主治医は諭すように、こう続けたという。
<「それは違いますよ。お母さん、たいがいの悪いことは、友だちから学ぶものです。だから友だちなんていなくたっていいんです。お母さん、あなたが大夢くんに教えるただ1つのことは、1人で生きていく術だけです。勉強も教えなくていい。友だちと遊ぶことも教えなくていい。かけっこが1番になる必要なんてない。ただ1つ、将来1人で生きていけるように、その方法だけを考えて、教えてあげればいいんです」
そのときは「はあ、そんなもんですか?」と、半信半疑で聞いていました。でも、このときのH先生の言葉に、その後、私はどれだけ救われたかわからないのです。>(本書より)
「本当に当時、すぐにはH先生から言われたことをきちんと理解できませんでした」と、菊地さんは、当時を振り返って苦笑する。
だが、著書のなかに彼女が綴った、その後の親子の道のりを改めて読んでみると、菊地さんはH医師の言葉をなぞるようにして、大夢くんを導いていったのが、よくわかる。
そして、現在。
大夢くんは、母親が暮らす秋田から遠く離れた東京で暮らしているのだ。自分1人で、自分自身の特性と折り合いをつけながら。
(この記事は、菊地ユキ著『発達障害で生まれてくれてありがとう』から編集・引用したものです)