母娘の確執という苦味 カトリーヌ・ドヌーヴの「真実」から見えてくるもの

カトリーヌ・ドヌーヴ(左)とジュリエット・ビノシュ(右)が母娘を演じる photo L. Champoussin (C) 3B-Bunbuku-Mi Movies-FR3

カトリーヌ・ドヌーヴ(左)とジュリエット・ビノシュ(右)が母娘を演じる photo L. Champoussin (C) 3B-Bunbuku-Mi Movies-FR3

緊急事態宣言が発出された10都府県では、映画館の開館時間が午後8時までの短縮となり、仕事帰りに街の映画館で新作を観たい映画ファンにはがっかりしている人も多いだろう。

そんな中、「フランス映画界の至宝」とも呼ばれる女優、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』(セドリック・カーン監督)が公開され、静かな話題を呼んでいる。

ドヌーヴが演じる70歳の母親は、自分の誕生日に集まった個性の強い家族たちをなんとか取りまとめようとする役柄のようだ。年を重ねて、どっしりとした貫禄と包容力を感じさせるドヌーヴならではの役と言えよう。ただ本人は新聞のインタビューに「私自身はそんなに我慢強い人間ではない」とも答えている。

年齢的にも母親役の多くなったドヌーヴの近作の中で、役柄が比較的実像に近いと思われるのが、今回紹介する『真実』(是枝裕和監督、2019)で演じられた大女優ファビエンヌ。彼女とその娘の脚本家の確執を中心に、なかなか苦味の効いたドラマである。ドヌーヴの他、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホークなど豪華俳優陣の起用でも話題となり、第76回ヴェネチア国際映画祭のオープニング作品に選ばれている。

「真実」暴露系の母娘愛憎ドラマと言うと、涙ながらの内面の吐露にヒステリックな怒号の応酬といった光景を想像しがちだが、この作品はそれを回避し、緊張感を保ちつつも淡々とした描写の中に、プリズムのようにさまざまな関係性を浮かび上がらせていく。

あまりに大きすぎる母の存在


フランスの国民的大女優であるファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が自伝『真実』を出版。そのお祝いに、アメリカで脚本家として活躍中の娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)がテレビ俳優の夫ハンク(イーサン・ホーク)と幼い一人娘シャルロットを伴ってやってくる。

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photo L. Champoussin (C) 3B-Bunbuku-Mi Movies-FR3

来るなり「本のゲラを見せてもらってない」と抗議し、母の本をチェックして事実と違うと怒るリュミエールと、それに冷ややかに対応するファビエンヌ。もともとあまり仲が良くない親子だなという感じが、会話のややチクチクした感じからも伝わってくる。

このドラマには、劇中劇としてもう1つのドラマが挿入されている。宇宙空間で過ごすことで年を取らず若い姿のままでいる母親と、どんどん成長し母の年齢を追い越して老いていく娘の関係が描かれているSF映画だ。

現在撮影進行中であるその作品で、ファビエンヌは娘エミリーの老いた姿を演じているのだが、明らかに興が乗っていない様子。女優業に邁進して母親らしい振る舞いをしてこなかった彼女には、劇中の母を求める娘の心理がわからない。実に皮肉な設定である。

一方、ファビエンヌに付き添って撮影現場に立ち会うことになったリュミエールは、揺らぎながらも確認されるSF映画の母と娘の関係性に、感じ入った表情。

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photo L. Champoussin (C) 3B-Bunbuku-Mi Movies-FR3

こうした中で徐々に浮上してくるのが、亡き人となっているサラという女優の存在だ。かつてはファビエンヌと人気を二分する良きライバルであったサラ。リュミエールが母以上になついていたサラ。今は不在の彼女が、ファビエンヌとリュミエールの確執の中心にあることもだんだんとわかってくる。

しかも、件のSF映画で母親役を演じるマノンは、「サラの再来」と呼ばれている新進女優。つまり、ファビエンヌが演じにくいと感じる原因は、母を求める娘の心が理解できないからだけではない。マノンはファビエンヌにとって、いつまでもしこりのように心の中にあって消えないサラを、代理表象する存在なのだ。

一方、リュミエールは、あまりに大きすぎる母の存在にコンプレックスさえ抱いてきたために、母の競争相手であったサラに過剰に感情移入している状態だ。
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文=大野 左紀子

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