2011年から10年、新政「No.6」が描く日本酒の未来

父がときおりジ、ジと音を立てるガスストーブの上でするめをあぶっている。ふすまを隔てた祖母の部屋から聞こえてくるのは大相撲の中継だ。

「のーこった、のこったのこった」という行司の声にかぶせるように、父が一升瓶から酒をドプッとぐい飲みに注いだ。

これが私の日本酒原風景だ。西陽が差し込む部屋にふんわりと漂う酒の香り(と、するめの匂い)。穏やかな一日の夕暮れと日本酒への思いは私の中でリンクしているのだろうか。

いまも夕やけを見ると、ふとあの日、卓上の酒瓶に書かれていた文字の筆致を思い出すことがある。

日本酒といえばこのような風景が浮かぶ私が、長じて、ボトルに「6」とひと文字グラフィカルに描かれた「No.6(ナンバーシックス)」に出会ったとき、これはワイン? 日本酒?と混乱したものだ。

日本酒といえば、お酒の名前は日本の花鳥風月を謳う和語であり、ラベルは流麗な筆書きで描かれているもの、とどこかで決めつけていたのだろう。

日本酒シーンを変革した「No.6」



「新政酒造」は嘉永五年(1852年)に創業。「秋⽥県産⽶を⽣酛純⽶造りにより六号酵⺟によって醸す」という⽅針で酒をつくり、杉板を組み合わせ⽵の箍(たが)で締めた「⽊桶」での醸造にも積極的に取り組んでいる。©Shingo Aiba

「No.6」はちょうど10年前の2011年、秋田県秋田市の酒蔵「新政酒造」で生まれた。

「名前は使用している6号酵母から取りました。現在使われている協会酵母(日本醸造協会が頒布している日本酒や焼酎用酵母)のなかでももっとも古いものですが、実は90年前に私の曽祖父が生み出した当蔵発祥の酵母でもあります。

『No.6』をつくった10年前には酵母開発競争が盛んであり、過剰な香りで人目を引くような酒が市場のほとんどを占めていました。このため、地酒から地域性や蔵の個性が薄なわれ、均質化していくのを、この6号酵母を使用することで覆したかったのです。

当時は半分忘れ去られたような酵母でしたが、この酵母にも改めて光をあてることができました」(8代目蔵元、佐藤祐輔=以下同)

この「No.6」が“再発見”したのは酵母に限らない。たとえば全量秋田県産の酒米を使う純米酒、伝統的な生酛づくり、いまでは製造する職人を確保することも難しい木桶での発酵など、日本酒の原点回帰ともいえるファンダメンタルな要素がこれでもかとばかりに詰め込まれた、ハイスペックな日本酒でもあるのだ。

「現代的なバイオ技術や加工技術によらず、あくまでもクラシックな素材や伝統的な醸造技術によって現代を表現することが『No.6』の目的であり理想」ということだが、非常に日本酒らしい日本酒が、日本酒らしからぬプロダクトデザインを装うというアンビバレンスが「No.6」の最大の魅力ではなかろうか。

結果として「No.6」はいままで日本酒を積極的に飲まなかったファン層を獲得し、市場を大きく拡大することに貢献した。現在、生産してもすぐに売り切れる(生酒なので冷蔵環境の整った小売店・飲食店にしか卸さないという流通経路の問題はあるにしても)幻の酒といわれる日本酒のひとつである。
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文=秋山 都

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