気づきに満ちた往復書簡 「パン屋の手紙」

北海道真狩村にあるベーカリー「ブーランジェリージン」


神さんがDIYで建てた小さな住居には、中村さんがデザインした照明器具やチェアが、本棚には自著の書籍と連載をしていた建築雑誌がずらっと並んでいたのだ(「思わず、『なんだか自分の家に帰ってきたみたいだねえ』と声に出して呟いたほどです」p.33)。そして何より、この一家の暮らしが、中村さんの描く「誠実な暮らし」だったことに感銘を受ける。


ところで、家の内外のたたずまいもそこでの暮らしぶりも、ぼくにはとても好ましく思えました。ここには地に足の着いた人間らしい暮らしがあるという実感。背伸びもせず、萎縮もせず、自分たちの信じること、そこでできることを精一杯していくことで満ち足りている暮らし。その豊かさと尊さをヒシヒシと感じたのです。ひとことで言えば「誠実な暮らし」ということになるでしょうか。


休暇のたびにあくせく旅に出て移動ばかりしていた私も、コロナ禍で、一つの場所に立ち止まって豊かな時間を過ごすことの大切さを、改めて気づかせられた。「誠実な暮らし」とは何か。神さんの仕事ぶり、生活ぶりに、多くのヒントがあるような気がした。

ここから、二人の共同作業が始まる。神さんは「村のパン屋さん」のイメージには収まらない知性とセンスの持ち主。彼が紡ぐ言葉はときに詩的であり、パンを焼く営為には司祭のような厳かな雰囲気が漂う。

そんな神さん一家の「誠実」な暮らしぶり、洒落たセンス、職業への「神聖」とも言える姿勢、憧れの建築家へずっと秘めてきた思い、「夢」である中村建築でのパン小屋を実現する心の躍動、その一つ一つが、「いま」と「これから」の働き方や暮らしを考えている私たち都会人の琴線に触れるわけだった。



若いクライアント一家を温かい眼差しで見つめ続ける中村さんの思いやりにも心を打たれる。

解体する納屋の梁を十字架に見立てて新しい窯場の天井に掲げることを提案し、パリから可愛い絵葉書を送る。上棟式には神さんの息子の保育園の同級生をたくさん招いて、「餅撒き」ではなく「パン撒き」をすることを提案したり、彼の手書きリクエストに答えて子供用のツリーハウスを作ったり。事務所総出で四日間、外壁塗装と内装左官工事を手伝ったり。

神さんが前のめりになりすぎたときは少し諌めてみたり、しょんぼりしているのをみて「あなたは共同設計者だ」と元気付けてあげたり。依頼人にここまで身も心も寄り添える建築家がいるのだなと感激した。読めば誰もが、「いつかこんな建築家に自分の家を建てて欲しい」と思ってしまうだろう。

設計の初案から最終案に辿り着くまでの試行期間は8カ月、第七案に至った。少しばかり足りない費用は月に2回、事務所に届けられるパンのサブスクリプションで受けることにした。二人は依頼人と建築家の関係から、いつからか歳の離れた、お互いを尊敬し合う友人、そしてco-creatorとして、このパン小屋を完成させるのだった。

ぜひこの本をにとってみてほしい。私は本書を読み終えてすぐに車を走らせて、「ブーランジェリージン」に向かった。そこで買ったトウモロコシやクルミパンは、本で読んだ神さんのイメージ通り、誠実で、まっすぐな味がした。

岩瀬大輔「THE BOOK REVIEW!」
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文・写真=岩瀬大輔

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