この話を霞が関の役人にしたら、笑いながら、「うちの役所にも、その手の人間はたくさんいるよ。君の会社もそうだろう」と言われた。確かに、肩書が全てで、ポストにこだわる人は多い。役人・サラリーマン人生の成功の是非をポストで占いたいというのはよくある話だが、ポストで権威もついてくると誤解したり、ポストに異常にこだわったりする人もまた多い。
昨年11月、茂木敏充外相との会談後の会見で、尖閣諸島に対する不当な主張を繰り広げ、日本人の怒りを買った中国の王毅外相。外務省の中国関係に詳しい知人によれば、王毅氏もポストと共に人が変わってしまったという。ずっと昔、日本で勤務していたころの王毅氏は謙虚でとても優しい人だったという。東京タワー近くのボーリング場で外務省の職員と一緒にボーリングを楽しみ、冗談を言い合う姿は、とても共産主義国家の官僚とは思えないほどだったという。
この知人は「王毅は昇進するにつれ、上司の目を気にするようになった」と話す。11月の発言も、茂木外相に先に尖閣諸島について言及されたため、言い返さないと習近平国家主席に怒られる、という心配から出た発言だろうと、複数の知人が解説していた。
肩書は確かに必要なときがある。外交の世界ではプロトコール(国際儀礼上のルール)が厳格に存在し、同じ位の人間にしか原則として会えない。「新聞記者は誰にでも会えて良いですねえ」と変にうらやましがられたこともある。
一方で、肩書に振り回される人も大勢いる。最近、知り合いの霞が関官僚が昇進した。新聞で辞令が発表されるや、この官僚自身の言葉を借りれば、「滝のように」お祝いのメールが殺到したという。ただ、職務に直接関係ないうえ、時候のあいさつも交わしたことのない人も大勢含まれていた。私は、かつての上司が「昇進したとたん近づいてくる人が増えた。後で振り返ってみれば、腹黒い奴が多かったのが悲しかった」と話してくれたことを思い出した。
金正恩氏が暮らす朝鮮半島は確かに肩書が好きな土地だろう。新年のあいさつをSNSで送ってきた韓国メディアの知人は、「お前は今何をやっているのか」と聞いてきた。編集委員という職責は韓国にはない。面倒に思って「記者だよ」と答えると、「ああ大記者(韓国では、ベテラン記者にこういう呼称をつける)、それとも専門記者?」とたたみかけられた。「ただの記者だよ」と答えると、沈黙してしまった。50を過ぎてヒラ記者で可哀想だと思ってくれたらしい。
こういう世界だから、金正恩氏の「総書記」という看板もあるいは通用するのかもしれない。
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