私は、魅力的な「ものづくり」には、「できたらすごい」という冒険心と、変幻自在のしなやかさが必要なのではないかと常々考えています。こういった要素がロジカルな商品開発を凌駕することが多々あります。
例えば、デジカメには当初、液晶画面はついていませんでしたが、カシオが1995年に発売したデジカメには、初めて液晶画面が搭載されました。当時はデジカメでもファインダーを覗いて撮影するのが当たり前であり、顧客調査などでは液晶画面を搭載することは好意的に受け取られていなかったようです。
しかし、カシオは液晶画面の搭載を英断し、撮影したものをすぐに確認できる点などが高い評価を受けて、その後のデジカメのスタンダードとなりました。
「すごい」で発展したスケートボードの歴史
また、商品企画のプロセスとは異なりますが、スケートボードの発展の歴史を見ても、「できたらすごい」という冒険心と、変幻自在のしなやかさに溢れています。当初は想定していなかったことが連続して大きな発展につながる例として、非常に興味深いものです。
スケートボードは1960年代からローラースケートに板を付けて遊びだしたのが始まりのようです。そして原初的なスケートボードが進化していく過程で、より早い速度で滑ることができるようになり、より高くジャンプできるようになり、さらには空中でボードを回転させたり、ボーダー自身が空中で回転したりといった大技も可能になりました。
さらに、新しいアクションに挑戦したい、それを皆に見せたいという欲求から、専用のスケートボードコースが設置され、手づくりの大会なども開催されるようになりました。そして、素晴らしい技の数々を持つスケートボーダーにはスポンサーがつくようになり、プロスケートボーダーの競技大会も各地で開催されるようになります。
また、多くの若いスケートボーダーやファンを惹きつけることから、若年層向けブランドの企業群が大会のスポンサーとして資金を提供しています。私がいたビデオゲーム産業においても、有名プロスケートボーダーの名前を冠したゲームが発売され、世界中で人気を博しました。
スケートボードの歴史は、ローラースケートに板を付けて滑ったらすごい、新しいアクションら挑戦したらすごい、高いレベルのパフォーマンスができたらすごい、自分も大会に参加できたらすごい、世界一になったらすごい、有名になったらすごいなど、「できたらすごい」の連鎖の歴史であり、遊び方に応じて変幻自在に形を変えていくしなやかさの歴史だと思います。
私たちが関わる事業においても、特に「ものづくり」の現場では、先々の到達点が見えていないことが多々あると思います。これはごく自然なことであり、恐れることではありません。アメリカ大陸を切り開いた開拓民が見た世界と同じように、各分野の先端にいる人たちの視界は不良であって当たり前なのです。
そして、各分野の先端にいる人たちは誰よりもその分野には精通しているがゆえに、調査結果などのエビデンスに振り回されるのは、正しいことではないのだと思います。むしろ、スケートボードの発展の例で見たように「できたらすごい」の連鎖を起こせそうなのか、変幻自在のしなやかさがあるのか、そういうことだけに集中するのが良いのではないでしょうか。
日本は「ものづくり」を大切にしてきた国です。「できたらすごい」という冒険心と、変幻自在のしなやかさをもって、あっと驚くような製品や体験を提供していただけると嬉しく思います。
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