その後、同性愛者をサポートする情報サイトやSNS上での交流は進み、全国のLGBTが自分の思いや悩みを吐露し、交換しあえる場が次々に生まれた。
コミュニティサイトの一部は誰でも閲覧でき、交わされる会話はフランクかつオープンで、彼らの間では隠すべきことではないとの認識が共有されつつある。昨夏、無期限休止が発表されたものの、LGBTフェスティバルの「上海プライド」も2009年から開催され続けていた。
2010年代のSNSをベースにした情報ネットワークの進化と国際化は著しいものがあった。今日、全世界で4900万人のユーザーを有するゲイ向けアプリ「Blued」の創業者は中国人であり、ユーザーの半数は海外在住者だという。
LGBTに対する中国社会の錯綜した現実
ところが、ここに唖然としてしまう中国の特殊性がある。中国のゲイコミュニティは国際的な交流が進む一方、彼らの抱える問題を政治イシュー化しないことが条件であるということだ。同性愛者であること自体は問題ないのだけれど、彼らが社会における権利獲得等を訴えたとたん、政治的につぶされかねない脆弱な存在なのだ。
こうした事情について、日本人は無邪気すぎるところがある。いまから10年前のことだが、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上演された中国のLGBT映画『スプリング・フィーバー』(ロウ・イエ監督)の出演者を日本に招いて行われたトークショーにおいて、当時のイベント関係者が、中国でゲイを題材として作品化することのタブーについての関心、いや好奇心を隠そうともしなかったことを思い出す。
中国では、タブーに挑む姿勢を公に見せることは、当人のみならず関係者も含めて窮地に追い込むことにつながりかねないことを理解しておく必要があるだろう。
同じことは房満満さんの作品についても言えるかもしれない。
この作品にはもうひとりの登場人物がいる。レズビアンの安安(アンアン、32歳)さんは、19歳のときに母親にカミングアウトしたが、受け入れられないまま今日に至っている。
彼女が子供の頃に両親は離婚しており、苦労してひとり娘を育てた母親は、その現実を受け止めることができなかったのだ。そこで安安さんは、前述の同性愛者支援団体の懇談会に母親を呼び、関係者などに仲介に立ってもらい自分の思いを伝えようとする。
そのとき、母親は涙でむせびながら、思わずこう叫ぶ。
「(この現実を)受け入れてあげないとあなたがつらい。でも受け入れたら私がつらい」
ノンフィクション作品ゆえに、演出ならそぎ落とされかねない過剰なまでの狂おしい情念が、次々とほとばしり出る不条理劇に観客は立ち会わされる。エゴむき出しにさえ見える母親の態度に反発を覚える人もいるかもしれない。
だが、そこには、われわれがまだ十分に理解できていない中国社会の錯綜した現実があり、LGBTを題材にしたこの作品でも、カミングアウトにともなう親子の葛藤がテーマとして選ばれるに至った経緯を理解する必要があるだろう。
そうだとしても、この作品の持つ赤裸々さ、親子が自分の思いをぶつけ合い、それでも和解に至ることの難しい臨場感に、心が揺さぶられてしまう。
『出櫃(カミングアウト)中国LGBTの叫び』は1月23日から東京・新宿のK’s cinemaで上映予定
連載:国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル
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