中国LGBTの苦悩 親と子の辛苦を描いたドキュメンタリーが訴えるもの

母親の墓参りをする谷超さん。本当はまず母親に話したかったという(c)テムジン


中国の同性愛者をめぐる日本メディアの報道として比較的知られるものに、共同通信が2005年9月8日に伝えた、上海復旦大学での「同性愛研究」講座の開設がある。学部生向けの新講座で、同性愛者への差別や偏見を排し、公平な見方を与えることを目的にしていたという。

当時、この報道が注目された背景には、中国では1997年まで同性愛は刑法で取り締まりの対象だったという事実がある。かつて中国では同性愛者は法的に存在を許されていなかったのだ。それゆえ、21世紀を機に自由化が進むと考えられていた、当時の中国を象徴する出来事として好意的に受け取られたのである。

WTO加盟後の2000年代の中国は海外との貿易を拡大させ、外資企業も多数進出。なかでも上海は多くの外国人が暮らす最先端の国際都市としてみなされるようになっていた。

筆者の手元には、当時上海で流通していた隔週刊の英字フリーペーパー「CITY WEEKEND Shanghai」2007年5月24日~6月6日号がある。同誌は中国の主要都市ごとに地域版が発行されており、最新のグルメやエンタメ、トラベル、アート情報などを掲載する現地在住の外国人向けタウン情報誌だった。

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「CITY WEEKEND Shanghai」のゲイ特集号。現在同誌は廃刊している

当該号で表紙を飾ったのが、外国人と中国人と思われるゲイのカップルであった。同誌はゲイ特集を掲げ、誌面にも何組かの同性愛のカップルが顔出しで登場。彼らの出会いの場となるレストランやバーなどの情報がリスト化されていた。

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「CITY WEEKEND Shanghai」のゲイ特集号の誌面

また、その頃、筆者は、上海の現代アートスポットを訪ね歩いているうちに、あるゲイバーにたどり着いた。そこには新進アーティストの作品を展示するギャラリーが併設されていた。

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バーに併殺されたギャラリーに展示されていた作品 撮影/町川秀人

そのとき、カウンターでくつろいでいた人たちとそれほど多くの会話をしたわけではないが、いまでも覚えているのは、上海のような同性愛コミュニティが存在する都会ではなく、農村生まれの同性愛者の苦悩をどう救うべきかという話を彼らがしていたことだった。新鮮さを感じた記憶がある。

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上海の某地区にあったゲイバーと客たち 撮影/町川秀人

実際、2008年には広州で、同性愛者とその家族や友人を主体とする中国初のボランティア団体である「同性恋親友会(PFLAG China)」が設立されている。同会では翌年から、悩みを持つ人たちのための懇談会を始め、各地で開催したことで、同様の団体が中国全土で誕生した。

当時の中国では、LGBTに関する地域による情報格差もそうだが、中国語でゲイを意味する「同志」や、その理解者が身近に見つからないことから孤独に悩む人たちはたくさんいた。同会の設立は彼らを大いに勇気づけたのだ。
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文=中村正人

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