試練続きのMBA留学、日本マイクロソフト勤務を経て米国スタートアップに転職をした私の道程

MBA留学中の徳永康彦氏

新卒で入社した外資系企業の日本オフィス撤退から始まったキャリア変遷。

前回の記事では、撤退における過酷なクロージング業務・グリーへの転職・MBA留学試験への挑戦までを辿ってきた。そこには「自分の後悔しない選択をすること」というメッセージがあった。

第2回である今回は、留学中の試練から帰国後の就職と転職までを寄稿いただいた。「人生における仕事のあり方」について、読者が改めて考える機会になることを願っている。


死に物狂いで食らいついたMBA留学の2年間


サンダーバード国際経営大学院に入学した私に待ち構えていたのは、壁に次ぐ壁だった。

英語での「雑談」。

意外にもこれがはじめの壁だ。

前職グリーでの英語面接を突破し、必死で勉強してMBA試験にも突破した私の英語力、それはコンテクスト(文脈・脈絡)が理解しやすい場面で発揮されるものだった。

一方で、ランチや飲み会のカジュアルな会話はコンテクストが無い。様々な話題が雑音の中でくだけた英語で話される。

何が話されているのか全く理解できないカフェでの会話。それが苦痛で、寮の部屋にランチを持ち帰る日さえあった。自分の考えを即座にニュアンスも含めて表現できないことは確かに大きなストレスだったが、それ以前にリスニングが弱いという点も致命的だった。

さらに過酷だったのは、プログラム中に求められる尋常ではない勉強量。課題本を読む範囲も、たとえ日本語だったとしても間に合わないほど膨大だった。

「なんとかするしかない」

そう自分に言い聞かせ、いかに取捨選択をして生き延びるか、常に危機感と戦っていた。しかも課題をこなすだけでなく、授業では積極的な挙手と発言が求められる。さもなければ点数を下げられ、卒業も難しくなるからだ。

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文=徳永康彦

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