(前回の記事:冤罪へのカラクリ 「検事さんへの手紙」は刑事が書かせていた)
冤罪を晴らすことと共に、自らの障害と向き合って生きて行くこと。西山さんにとっての、人生をかけた2つの〝闘い〟は、まだ始まったばかりだった。
悩んだ末に、障害を初めて告白した日
2017年8月24日の出所後、自分の再審を支援する集会があると、西山さんは必ずマイクをもってスピーチした。最初は、障害があることを自分から話すことはなかった。報道で伝えられたからと言って、誰もが障害のことを知っているとは限らない。西山さんは「障害があることを言うことで、私のことを変に見られるんじゃないかな、と心配になったから」と当時の心境を振り返る。
出所から1年以上が過ぎたとき、ある支援集会でいつものように大勢の人の前で立った西山さんは、突然自分の障害のことを自ら語り始めた。
「私は、まだ和歌山刑務所にいるときに精神鑑定をしました。その結果、軽度知的障害だと分かりました。ですから、私には小学5、6年生の知能しかありません。皆さんには、そう思って私の話を聞いてほしいと思います」
会場全体が水を打ったように静まり返り、西山さんの告白を真剣に受け止めている様子が伝わってきた。障害のことに触れるのを避けていたのに、ありのままを話す様子に驚いた。なぜ障害のことを打ち明けることにしたのか聞いてみた。西山さんは、悩みに悩んだ末の決断だったと明かした。
「正直言うと、最初は自分から話す勇気はなかなか持てなかったんです。でも、障害に触れずに講演で話しても、なかなか理解してもらえなかった。いくら好きになったからとはいえ、なぜやってもいない殺人を自分がやった、と自白するのか、と疑問を持たれた。『そんなんありえへん』って目を向けられているような気がして、悲しかった。ちゃんと説明してもなかなか分かってもらえないんだなって。支援してくれている国民救援会の人たちは、事件のことをよく勉強しているので分かってくれる。でも、その他大勢の人は、警察がどんな取り調べをしたのか、など細かいことまで知らないから」
西山さんの両親がそうだったように、多くの人は今も「警察は市民の味方」だと思っている。無実の人を罪に陥れ、逮捕するはずがない、まして本人が自白したのであれば有罪が本当なのではないか、という見方になるのが世間一般の反応なのだ。
再審開始決定が出た後、西山さんが支援者たちと署名活動をしていると、署名を求められた通行人が支援者に「この人は本当に無実なんですか?」と聞いている場面に出くわすこともあり、そのたびに落ち込んだ。