「冤罪で自白させられた人はみんな『これだけは、体験した者でないと分からない』と言いますよね。私も同じなんですよ。あの時の自分を、うまく説明できないんです。私を取り調べた刑事は、めちゃくちゃいい人で〝ど真剣〟に私の話を聞いてくれた。本当にその人のことを好きになって、信じてしまった。今では、仕事だったから優しくしたんだ、と思えるけど、当時は友達もいないし、24歳の私にとって〝大人〟といったら、お父さんお母さん、おばあちゃんしかいない。だから、人づきあいの環境も狭いし、まったく世間知らず。
留置場に来た弁護士さんは『やってるの? やってないの? やってないんだったら、なんでやってない、と言えないの?』って言うんだけど、そんなに単純じゃない。もうその時には精神的にもおかしくなって誰を信じていいのか分からない状態だったし。閉じ込められた環境の中で『やってない』と言ったら別の刑事が出てきて、扇子でぱんぱん机をたたかれて『やった』と言ったらすごくやさしくなって。独りぼっちでつらいときに、シャトレーゼのケーキ、マクドナルドのてりやきマックバーガーのセット、ミスタードーナツのフレンチクルーラーを買ってくれて。『否認したら重い判決が出る』とか『自白したら執行猶予もある』とか、いろいろ言われて」
西山さんは出所後、数カ月が過ぎたころ、私にそう打ち明けた。
確かに、事件の背景や警察の悪質な取り調べなどの詳細を知っている支援者にはわかってもらえても、初めて講演という場で聞く人にわかってもらえるように話すのは難しいだろう。
「せっかく話をしても、聞いてくれる人に冤罪だと言うことを分かってもらわないと意味がない。それで『障害のことを隠すのは、よくないな』と思うようになり、思い切って話すようにしました」
喜ばしい反面、複雑な思いも感じた
自ら「12歳の知能しかない」と告白してから、聞き手の受け止め方は、どう変わったのか。西山さんは言う。
「自分から知的障害があると打ち明けると、みんながハッとして聞いてくれるようになりました。そして『ああ、そうか。障害のある人が大変な思いをしたんだな』『好きになってはいけない人を好きになってしまったんだな』『弱い立場の人が警察の組織ぐるみの捜査で無実の罪を着せられたんだな』というように、いろんなことが聞き手の中でつながっていくというのかな。次第に受け止めてくれるようになりました」
勇気ある告白によって、冤罪被害の体験に耳を傾けてくれるようになった、ということ自体は喜ばしいことだろう。だが、複雑な思いもあった。
確かに西山さんには障害があり、そこに付け込まれた面はある。だが、冤罪被害に遭うのは、必ずしも障害者とは限らない。現実には西山さんの事件の前も後も、何人もの人が警察や検察の取り調べで虚偽自白を強いられ、冤罪のわなに落ちている。