これまで3000人以上の方を取材している私には、忘れられない取材がいくつかありますが、石橋さんへのものもそのひとつでした。
私はあまり緊張をしないタイプなのですが、自分が学生時代にテレビでよく見ていたスターに取材をすることになり、さすがにこのときはプレッシャーを感じました。
しかも、石橋さんは、木梨憲武さんとコンビを組むとんねるずでは、どちらかというとヒール役。怖い人なのではないかと思っていたのです。しかし、その印象は、ご本人に会ってあっという間にくつがえされました。
いつもポケットは夢でパンパン
取材場所となったのは、都内のホテルのスイートルーム。部屋に入ってきた長身の石橋さんは、テレビでは見かけることのない温和な表情で、しっかりと頭を下げられ、開口一番「今日はよろしくお願いします」とおっしゃったのでした。
有名人のなかには椅子にふんぞり返ってインタビューを受ける人もいるのではないかとよく質問されますが、実際にはまったくそんな経験はありません。長く活躍されている人ほど、謙虚で丁寧な方が多い。それを実感した取材のひとつでもありました。
そしてこのとき、なるほど本当にすごい人は違うという体験をしたのです。
石橋さんは、取材チームの名刺をすべて受け取ると、きちんとテーブルに並べられたのですが、それだけではありませんでした。私が質問をすると、返答のたびに、石橋さんはきちんと私の名前を呼ぶのです。
「上阪さん、それはいい質問ですね」
「そうなんですよ、上阪さん」
人にとって呼ばれて最も心地良い言葉のひとつに、自分の名前があります。それは生まれて以来、最もよく耳にする言葉だからです。しかも、テレビで見ていたスターに自分の名前を何度も呼んでもらえる。これが、心地良くないはずがありません。
なるほど、こんなふうにして、仕事の関係者は心をつかまれるのかもしれないなと、私は感じたのでした。そしてその取材の内容も、事前にイメージしていたものとは大きく異なっていました。
芸能界入りする前、石橋さんは都内の有名ホテルに勤めていました。しかし、5カ月で辞め、芸能界入りを決めます。自らムチャなことだと思っていたそうです。
「(芸能界入りは)親には反対されました。特に母です。それで、父が言ってくれた。ズルズルはやるな、大学に行ったつもりで4年間だけ許すと。もちろん『絶対、売れるんだ』と自分では思っているけど、才能があるかどうかなんて、誰にもわからない。そういう意味では、期限を定められたのは良かったと思う。その世界にとどまって辛抱することができるかどうかわからないという点でも」
結果的に、しばらくは辛抱しなければいけなくなります。いわゆる下積み時代。しかし、それをつらいと思ったことはなかったと言います。
「よく『あのときは』みたいなことを言う人がいるけど、それはウソだと思う。好きでやってて、つらいもへったくれもないんです。だから、楽しかった。好きなことをやれて、恵まれていると思ってた。それこそ、夢いっぱいでしたよ。いつもポケットは夢でパンパンでした(笑)」