だが、メディアが手紙を出せば、取材内容もすべて刑務所の検閲で確認され、問題になれば西山さんの手元に届かない可能性がある。検閲を通過できたとしても、西山さんが手紙を読み、返事を書いてくれる保証もなかった。
(前回の記事:刑事課長になったA刑事に直撃 事件の真相は?)
最初の手紙を出したのは2017年の2月初め。差出人の名前は大津支局の高田みのり記者(27)にした。刑事に恋したというセンシティブな要素もあり、同性の差出人の方が答えやすいのではないか、と考えたからだ。高田記者が文案を用意し、私と角、井本記者で練り直した上で投函した。
拘置所の「懲罰取り消し」のため示された交換条件
西山さんからの返事はなかなか届かなかった。手紙を出す直前、獄中の西山さんが精神的に不安定になり、父・輝男さん(78)のもとに「再審をやめる」という手紙が届いていた。本人も懲罰房に入る状況で、文通どころか再審そのものの雲行きが怪しくなっていた。
そんな状況でほとんどあきらめかけていたころ、西山さんからの返事が届いた。井戸弁謙一弁護団長(66)の事務所に届いた封書にその手紙は同封されていた。
後に当時のことを西山さんに聞くと、こう話した。
「面会に来ていた両親は『マスコミが家に取材に来ているから、美香のところにも来るかも知れない。その時はちゃんと話すように』と言っていた。『マスコミの人が面会に来られるはずがないやん』と答えていた。そうしたら、高田さんから手紙が来た。受け取ったときは、うれしかった。でも『この人、誰なんだろう』と思った。角さんという名前は聞いていたけど、なぜ別の人の名前なのかな、と思った。読んでみると、熱心に私のことを取材してくれていることがわかった。下書きを便箋に何枚も書いては直し、検閲で『ここはだめ』『ここもだめ』と何回も往復した。ようやく『これでいい』となって清書した。誤解せずに分かってくれるか、不安だった」
手紙には私たちの想像を超える、驚くべきことが書いてあった。それは、西山さんが2004年に逮捕されてから裁判が始まる前、拘置所を訪ねてきたA刑事に便箋とボールペンを渡され「検事さんへ」の手紙を書かされたときのことだった。
「もしも罪状認否で否認してもそれは本当の私の気持ちではありません」
なぜ言われるままにあの手紙を書いたのか。答えは、それまで言われていた「A刑事への恋心で言いなりになっていた」というだけの単純な話ではなかった。彼女の手紙にはこう書かれていた。
「滋賀の拘置所の時、別件で調べをしたいと言って(A刑事が)裁判の前に来ました。その時私は数日前あばれていたので、保護室に入れられ懲罰にするか調査中でした。その懲罰をA刑事に『取り消してあげるから罪状認否の時につみをみとめなさい』と言われ、心がうごいてしまい『検事さんあて』に手紙を書いています」