秦 「表の顔と裏の顔がある、ということか。気が弱そうに感じるのも、取材されるのを怖れてびくびくしているということかな」
川添「かもしれませんね」
県警には、この冤罪事件は被疑者が自ら「殺した」と自白したところから始まり、警察はそこに引きずられた、という不可抗力説が流布され始めている。確かに逮捕4日前の西山さんの供述調書には「呼吸器のチューブを外して殺した。私がやったことは人殺しです」とある。しかし、それは、A刑事が書いたものだ。
西山さんは出所後「私は『外した』とは言ったけど『殺した』とは言ってないんです。でもAさんに『外したなら殺したのと一緒のことやろ』と言われて反論できなかったんです」と話した。
調書には指印と署名があるが「調書の多くは読み聞かせしてもらっていない。『ここに書いて』と言われた場所に指印と署名をした。信用していたから、言われるがままでした」と西山さん。手書きの上申書(自供書)は56通もあるが、逮捕前に自ら「殺した」と書いた文書は1通もないことは、西山さんの主張を裏付ける。混乱した西山さんが「チューブを外した」と言ったのを聞き、功を焦り、ことを急いたA刑事が自白調書を勝手に仕立てた可能性が極めて高い、とは感じる。
だが、西山さんが自供書に「外した」と書いたのは6月30日。A刑事が供述調書に「殺した」と書いたのはその日ではなく、翌々日の7月2日。その間に当然、捜査幹部に報告し、何らかの指示を受けているはずだ。
「完全犯罪」に仕立てたのは誰なのか
さらに起訴までにはさまざまなハードルがあった。すんなり西山さんの犯行とするには解消できないさまざまな矛盾があった。
呼吸器はチューブを外せば即座に目覚まし時計並みのアラーム音が鳴り響く。西山さんが「外した」なら、多数の人が寝静まり、起きている人もいた未明の病棟内で気づかれてしまう。「アラーム音を聞いた」と言う人は1人もいなかった。
アラーム音を消す必要があった。それには、チューブを外した後、消音ボタンを押せば、アラームは鳴らない。ただ、1分後には再び鳴り始める。酸素を1分程度止めるぐらいで人を殺すことはできない。
西山さんを犯人に仕立てるためには、アラーム音を止め続け、なおかつ、死亡するまで酸素を遮断し続けるノウハウを知り、それを冷静に実行する知能犯的な能力が必要になる。
軽度知的障害のある西山さんを、そのような〝完全犯罪〟の知能犯に仕立てたのは誰なのか。A刑事1人ですべてを思い付き〝演出〟できたとは、とても思えない。不当な捜査は、どこまでが1人の刑事によるもので、どこからが組織的に行われたのか。それを解明する必要があった。
連載:#供述弱者を知る
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